ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

鶴岡へ

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(写真1 鶴岡駅)

藤沢文学の世界

 山形からは鶴岡へ移動した。同じ県内だが、山形のある内陸の村山地方と鶴岡のある海沿いの庄内地方とは間に峻険な月山があり、月山を避けて大きく回り込まなければならない。
 まずは山形新幹線で新庄へ。奥羽本線は、福島から山形、新庄、大曲、秋田を経て青森へと向かう長大路線だが、福島-新庄間は山形新幹線、大曲-秋田間は秋田新幹線が走っており、ちょっと複雑な運転状況となっている。
 つまり、福島-新庄間は新幹線と在来線が同じ線路を使って運転されている。このため、在来線も標準軌となっており、車両も標準軌仕様となっている。なお、福島-新庄間では奥羽本線は山形線との愛称がで呼ばれている。
 山形駅では、奥羽本線の新幹線・在来線使用の標準軌線路と、仙山線、左沢線用の狭軌の線路が並存している。1・2番線の新幹線ホームとの間には中間改札がある。
 山形を出ると、天童、さくらんぼ東根などとまるで在来線の特急並みに頻繁に停車して新庄へ。所要45分。

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(写真2 新庄駅3番線ホームで発車を待つ陸羽西線列車)

 ここで陸羽西線に乗り換え。新庄駅は、奥羽本線の新幹線と在来線の他、陸羽東線、陸羽西線が乗り入れる鉄道の要衝。新幹線ホームと在来線ホームは双方の車両止めで明確に区分されている。ただし、中間改札はない。
 3番線から陸羽西線に乗車。隣のホーム4番線には秋田行きが停車している。
 新庄を出ると、陸羽西線は、奥の細道最上川ラインと愛称があるように最上川と並行している。

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(写真3 陸羽西線と並行して流れる最上川)

 最上川は大河で、夜来の雨のせいか満々と水をたたえているものの茶色く濁っている。清川のあたりだったか、庄内平野に出て広大な穀倉地帯となった。稲穂が黄色みを帯びて成長しているようだが、稲刈りにはまだ早いようだ。
 そうこうして余目到着。羽越本線との接続駅で、上りの鶴岡行きに乗り換え。反対方向の下りは酒田である。
 山形から鶴岡まで3つの路線を乗り継いだ。乗り継ぎの待ち合わせ時間も含めて所要約1時間20分だった。
 鶴岡は、庄内藩の城下町だったところ。3度目だが久しぶり。市内をぶらぶらした。城跡など市街の中心と鶴岡駅とは少し離れている。
 初めに鶴ヶ岡城址へ。現在は鶴岡公園となって整備されている。元々、石垣は少なく、土塁で築いていたようだ。藩主は、立藩以来譜代の酒井氏。徳川四天王の家柄である。老中職も出した。

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(写真4 藤沢周平記念館)

 公園内には藤沢周平記念館があった。まるで酒井家の治世を記念した致道博物館と並び立つような扱いである。それほど鶴岡は藤沢文学が観光の目玉となっているのであろう。
 藤沢周平の小説には、庄内藩をモデルにしたような海坂藩がしばしば登場しており、市内各所にはその足跡が残されている。記念館には、藤沢文学の関係図が展示されていて観光案内を兼ねているようだった。また、館内には東京にあった書斎が復元されていた。

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(写真5 藩校致道館)

 鶴岡公園とは道を挟んだところに藩校致道館があった。往時の藩校が残されており大変貴重な遺産であった。
 市街中心は、ぶらぶら歩くには適当なサイズで、外堀だったのであろうか、内川という川が南北に流れていた。作品『蝉しぐれ』では五間川として登場していたもので、その川に架けられた橋の一つに赤い欄干のものがあったが、これも藤沢文学に登場したものだったか。

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(写真6 藤沢文学の舞台となっている内川に架かる三雪橋)       (2021年8月30日)