将棋を題材にした短編小説集
表題作など短編5編が収められている。
どれも面白かったが、印象深かったのは収録5編目の「恩返し」。すべてが将棋にまつわる物語なのだが、これは棋士ではなく駒師が主人公。異色の将棋世界が描かれている。
駒師とは、もとより将棋で使う駒を製作する職人のこと。名のある駒が好事家のあいだで珍重される。いわんや、タイトル戦で使われる駒は歴史的価値も生む。
棋将戦七番勝負第二局。前日には対局前検分が行われた。対局者二人が実際の対局室を訪れ、空調や照明、座布団や脇息、そして駒や盤などを確認する。
提供された駒は師匠と兼春のもの。駒師として名の通った師匠の駒を差し置いて自分の駒が採用されることはなかろうと兼春は思っていたし、師匠と共に選定の場に並べること自体に満足していた。
ところが、棋将国芳が選んだのは兼春の駒で、一緒に検分に立ち会っていた師匠に兼春が「師匠のおかげです」と挨拶すると、師匠は「恩返しってやつだな」と言ってくれた。
国芳棋将は揮毫するために駒箱に手を伸ばしかけていたのだが、駒師二人のやりとりが耳に入ったのか、国芳は突然「もう一度駒を見せていただいてもいいでしょか」と手を挙げた。
改めて二つの駒を手にした国芳は、「こちらでお願いします」と言って最終的に選んだのが師匠の駒だった。
いったん選んだものを戻すとは異例のことだが、国芳に何があったのか。この日の対局相手は国芳の弟子だったのだが、棋士の峻烈な世界が描かれていたのだった。
(新潮社刊)