ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

沖縄本島最北端 辺戸岬

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(写真1 祖国復帰闘争碑の建つ辺戸岬突端)

祖国復帰の願い強く

 辺戸岬(へどみさき)は、沖縄本島最北端。この日は晴れていたから沖合にうっすらと平べったい島影が見える。鹿児島県奄美諸島最南端与論島であろう。彼我の距離は23キロといわれる。この間は海峡ではないが、津軽海峡の龍飛崎-白神岬間の19.5キロと大差ない。

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(写真2 辺戸岬から遠望すると与論島がかすかに見えた。平べったい島で、最高標高が98メートルとある)

 しかし、かつてアメリカ占領時代、この間には、北緯27度線上の海上で国境線が敷かれていた。当時、本土から沖縄に渡るにはパスポートが必要だった。また、国境線を挟んで海上では与論島の人々と沖縄の人たちが船を出して交流していたということである。
 1972年の沖縄返還まで、沖縄の人々はこの辺戸岬から遠く与論島に向けて本土復帰を訴え続けた。岬の突端に建つ〝祖国復帰闘争碑〟は、沖縄返還実現後に建立されたものだが、碑文には「全国のそして全世界の友人へ贈る」と題し、吹き渡る風の音に耳を傾けよ 権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ 打ち寄せる波濤の響きを聞け 戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ……といった長文の檄文が綴られている。
 沖縄に来ると戦争が近い。多くの米軍の基地があるからだ。基地の数28、その総面積は本島の実に20%にも達する。また、いたるところに戦争の爪痕があり史蹟が残っている。本島南部の摩文仁の丘に行って平和の礎を前に鎮魂を新たにしない人はいないであろう。
 しかし、本土復帰ということに関しては、辺戸岬が象徴的存在だ。ここに戦禍はなかったようだが、沖縄の人々の塗炭の苦しみはこの辺戸岬の劈頭に建つと今に至っても強く感じる。
 沖縄本島は南北に細長い島。その距離約100キロ。南に位置する那覇から辺戸岬を目指すと、西海岸沿いに国道58号線が背骨のように貫いている。また、那覇から名護市の許田インターまでは国道58号に並行するように沖縄自動車道が走っている。
 那覇市街を出て沖縄道を使って許田インターまでが約1時間。許田からは名護市内を抜けて海岸沿いにどこまでも58号線を北上する。左は東シナ海だ。右手は国頭山地である。
 1時間ほどで辺戸岬。この日は平日の早朝だったので道は比較的空いていた。

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(写真3 辺戸岬の劈頭に建つ祖国復帰闘争碑〟)

 岬に着くと、ちょっと小高くなった劈頭に〝祖国復帰闘争碑〟が建っている。観光客が記念撮影をしている。

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(写真4 与論島+国頭村友好の絆の像)

 岬尖端周辺には様々なモニュメントが建立されているが、その一つに白い鳥のようなオブジェがある。与論島と国頭村との友好の絆として与論島から送られたものだということ。この白い像は与論島のシンボルかりゆし像らしい。

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(写真5 観光案内所)

 また、観光案内所があった。頑丈な建物で、展望台やカフェを兼ねていた。数年前に来たときにはなかったから、近年建てられたものであろう。職員が一人常駐していた。

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(写真6 荒々し景観の岬の周辺)

 岬周辺は石灰岩からなる大地となっている。明らかにカルスト地形である。台地は高さ10メートルほどの絶壁となっており荒々しい景観が見られる。
 なお、辺戸岬灯台というのがあるのだが、突端付近にはなくて、帰途探して見つけた。