ABABA’s ノート

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映画『相撲道』

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(写真1 映画館に掲示されていた開催案内のポスター)

サムライを継ぐ者たち

 大相撲の醍醐味を描いたドキュメンタリー映画。約半年間、相撲部屋に密着して取材した。テレビでもたびたび稽古場の風景などが報道されて大相撲の様子をうかがい知ってきたが、映画の迫力は格別だ。一般にテレビの番組は忠実に記録してはいるものの、この映画の最大の特徴でもあるのだが、とにかく相撲の魅力を最大限に引き出そうと演出されていることだろう。監督はテレビ出身の坂田栄治。
 密着取材した部屋は境川部屋と髙田川部屋。撮影期間は、2018年の12月から2019年6月。
 境川部屋の朝の稽古場。弟子が多い、30数人か。大関豪栄道や関脇妙義龍、前頭佐田の海らが所属している。師匠は元小結両国の境川親方。厳しい稽古で知られる。そもそも、荒稽古で知られる出羽海一門から分家独立した。稽古場の奥に佐田の山の写真額が掲げられている。横綱佐田の山自身が稽古の虫で、野武士の風格だった。なお、豪栄道はこの撮影の後2020年1月場所で引退した。
 すさまじいのはぶつかり稽古。特に関取クラスがぶつかるのは想像を絶する厳しさだ。土俵を弟子たちが取り巻いていて、一番終わるつどに次は俺にと手を挙げる。すると上のものが指名するのだがなかなか下までは順番が回ってこない。
 豪栄道と妙義龍の申し合い。稽古とは思われないほどの真剣さだ。同じ部屋で大関と関脇が稽古できるのだから、その意味はいかほどばかりか。
  妙義龍が「200キロがぶつかり合うのだから毎日が交通事故ですよ」と語っていたのもあながち誇張でもない。幕下の力士が関取の先輩に対して「まるで壁にぶつかっていく感覚です」と率直な感想を述べる。
 土俵外でも、例えば妙義龍が450キロのゴムタイヤを転がしたり、320キロのベンチプレスを行っていたりその力は計り知れない。妙義龍が「力士の力は〝相撲力〟なんです」と話していた。
 ぶつかり稽古の最後に、ムカデ稽古というのがあったが、これは部屋の全員がそんきょの姿勢で土俵を回るもの。これがなかなかきついものらしい。相撲の稽古は男を磨くのだと誰かが言っていた。
 豪栄道がインタビューに答えて、強い心、優しさ、勇気が大事だと言い、「すべては自己にかえる」と語っていたのが印象的だった。また、引退後の別の場面では、後輩への言葉を聞かれて「男らしく、弱音を吐かず、我慢すること」と答えていて、いかにも豪栄道らしい言葉だと感じ入ったものだった。
 豪栄道はけがの多い力士だったが、けがをひけらかせず、泣き言を言わない力士で、後輩からはサムライのようだと尊敬を集めている。豪栄道自身は「たいしたことじゃない」と事もなげだが。
 驚いたのは会食の場面。坂田監督がごちそうしたのだが、参加者は36人。食べた量は、ご飯6升210杯分、肉200人前。支払った金額は80万6,800円。恐ろしいほどの大食感ばかりだ。
 髙田川部屋。二所ノ関一門。師匠は元関脇安芸乃島の髙田川親方。現役時代の相撲同様に、厳しくも理詰めの稽古が定評だ。幕内の竜電、輝のほか関取が4人いる。師匠もときにはまわしをつけて土俵に降りる。稽古場がぴりっと締まる。
 竜電と輝。長身の二人。何番も申し合いを重ねる。どちらも弱音を吐かない。力が拮抗するもの同士の稽古。稽古が生きていることが端からでもわかる。
 ぶつかり稽古や申し合いをしないときには、竜電は四股を踏んでいる。足を高く上げ、何回も何回も繰り返す。そのスピードが驚くほど早い。竜電は場所中でも、本場所から帰ってくると稽古場に降りて四股を踏んでいる。場所中の取り組み後の稽古は珍しいこと。特に関取では他に例がないようだ。竜電は、四股は相撲取りを作ると言い、弱いから四股を踏むとも。竜電は過去にけがで幕内から序の口まで落ちたことがあった。序の口は番付の最下位。新弟子の位置だ。関取が序の口まで落ちて現役を続けた例はないのではないか。そこから這い上がってきた執念。稽古が終わって浴衣に着替えた姿は笑顔の優しい青年だ。その竜電曰く、後輩への言葉を聞かれて「ただただ頑張ること。それも二年三年先をを見て」と答えていた。辛酸をなめてきた竜電らしい含蓄のある言葉だ。
 激しい稽古。番付一枚違えば虫けら同然と言われる世界。そこには極限まで自分と向き合い、不屈の精神で戦い続ける力士たちの姿が何の脚色もなく率直に描かれていた。
 相撲が好きな男たちの世界だし、「相撲ができる喜び」(竜電)が素直に伝わってきて感動が胸に迫ってくる希有なドキュメンタリー映画だった。