ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

展覧会『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』

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(写真1 会場の国立西洋美術館に掲示されていた看板)

屈指のコレクション来日

 この美術館のコレクションは、「ジョットからセザンヌまで」とよく言われるように、中世から近代までの西洋絵画がそろっているのだが、その屈指のコレクションが来日していて見応えがあった。
  レンブラント、フェルメール、ゴヤ、エル・グレコ、ベラスケス、ルノワール、ドガ、モネ、ゴッホ、セザンヌなどとあって枚挙にいとまがないほどだった。
 はっとするほどの美しさはサヴォルトの「マグダラのマリア」で、妖しいほどだった。ムリーリョの「窓枠に身を乗り出した農民の少年」は少年の笑顔がとてもよかったし、セザンヌの「ロザリオを持つ老女」は厳しい祈りの表情が印象深かった。

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(写真2 ゴッホ「ひまわり」=会場で販売されていた絵はがきから引用)

 人気を集めていたのはゴッホの「ひまわり」。会場に掲示されていた解説によれば、ゴッホに「ひまわり」は7点あって、1点が焼失し、もう1点は個人蔵とあって、一般に鑑賞できるのは現在5点だけということ。私は幸いこの5点すべてを見たことがあるのだが、それぞれの違いは正直なところあまりよく分からない。もちろん好き嫌い程度のレベルだが。なお、7点のうちゴッホのサインがあるのは2点だけで、このうちの1点が来日中のこの作品だということだった。なるほど、子細に見れば、ひまわりの鉢のすぐそばにVincentとサインがあった。

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(写真3 フェルメール「ヴァージナルの前に座る若い女」=会場で販売されていた絵はがきから引用)

 注目したのはフェルメールの「ヴァージナルの前に座る若い女」。ところが、この絵はフェルメールらしい緻密さがない。フェルメールが寓意を表すためにいつでも丁寧に描いている背景の絵も大雑把だし、若い女性のドレスの襞(ひだ)の様子も無造作。
 私はフェルメールが好きで、個人蔵などを除き一般に見られる30数点あるフェルメール作品のすべてを世界各地の美術館を訪ね歩いて見たことがあるのだが、このロンドン・ナショナル・ギャラリーには2点ある。来日しているこの「ヴァージナルの前に座る若い女」(1670-72年頃)と「ヴァージナルの前に立つ若い女」である。
 比べてみると、〝立つ女〟はフェルメールらしく光と影の取り込み方が絶妙であるのに対し、〝座る女〟では光線が曖昧で、表情にも陰影が乏しい。
 タイトルが似ているので誤解しやすいが、実はこの2点の制作年は随分と離れているようだ。〝座る女〟は最晩年の作といわれており、この作品の数ヶ月後には亡くなったことなどからすると、フェルメールの力が明らかに衰えていたと指摘できるようだ。

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(写真4 ロンドン・ナショナル・ギャラリーの外観)

 ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、ロンドンの中心、有名なトラファルガー広場に面しており、いつでも入館者が絶えない。ルーブルやメトロポリタンほどの巨大な規模ではないが、質の高いコレクションが多くて好きな美術館の一つだ。同じナショナルギャラリーということでは、ワシントンと双璧だ。
 ロンドン・ナショナル・ギャラリーには、ラファエロの「カーネーションの聖母」やターナーの「雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道」があって期待していたが、このたびの展覧会には残念ながら出品されていなかった。

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(参考 フェルメール「ヴァージナルの前に立つ若い女」=ロンドン・ナショナルギャラリーで撮影。2014年1月17日)