ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

高山羽根子『首里の馬』

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(写真1 受賞作所収の「文藝春秋」9月号)

芥川賞受賞作
 面白い。ただし、エピソードは奇抜。あまり考えすぎると難解になってしまう。しかし、話題はさらりと出てくるが、よくよく考えると意味は深長だ。読みやすいからどんどんと進むと陥穽にはまる。
 未名子は、順さんという老婦人が個人的にやっている『沖縄及島嶼資料館』で資料整理の手伝いを行っている。中学生のころからで、もう十数年にもなる。資料館には「未名子の暮らす場所の周辺にあった、現在に至るまでのあらゆる記録がつまっている」し、未名子は資料をスマートフォンで撮影し、データをマイクロSDカードにファイルしていった。
 資料館でのボランティア活動とは別に未名子の仕事は一風変わったもの。市の中心にあるスタジオで、パソコンに向かい、定められた時間、遠方にいる登録者にクイズを読み、答えさせること。スタジオには未名子ひとり。東京にいるカンベ主任から必要な材料が宅配便で送られてくる。怪しげな仕事ではある。
 問題はカンベ主任から送られてくるマイクロSDカードに入っており、問題を読む未名子と、答える相手は常に一対一で、相手はいつも同じではなかった。未名子と相手はたいてい一回の通信で、二十五問の出題と解答を行う。
 仕事の正式な名称は『孤独な業務従事者への定期的な通信による精神的ケアと知性の共有』といい、略称は問読者(トイヨミ)。
 問題は、「小さな男の子、太った男。――そしてイワンは何に?」といったもので、問題はひねってあり、深読みしないと正解は難しい。この場合の正解は「皇帝(ツアーリ)」。
 答える相手は、遠い異国の人のようで、コーカソイド系の男性だったり、極地の付近に暮らしているような女性だったり、中央アジア系の青年だったり。日本語を母語とはしていないが、日本語は話せる人たち。
 ある朝、未名子の家の庭に小さな馬が迷い込んでいた。どうやら宮古馬(ナークー)という沖縄在来の馬のようで、小さいし、速く走ることもできないらしい。
 馬を手なずけた未名子はヒコーキと名づけ、やがてヒコーキにまたがりゆらゆらと歩くようになった。ヒコーキと自分にはカメラを装着し、目に入るものすべてを記録に取ろうとした。
 やがて未名子は仕事を辞めることにし、マイクロSDカードに貯め込んでいたデータを、問読者に送って保存しておいて貰うことにした。ファイルは「私の住んでいる島のアーカイブ」だった。
 読み飛ばせないフレーズが多い。
 かつての外国人住宅――といったって、それができた当時、ここは日本にとって外国だったから、厳密にはその呼称はまちがっている気がするけれども――
 この地域には、先祖代々、ずうっと長いこと絶えることなく続いている家というものがほぼなかった。英祖による王統で中心の都だったとされるこの地の歴史は、現在までとぎれとぎれの歯抜けになっていた。かつて廃藩置県、つまり琉球処分で区画が引かれなおして、そのうえ太平洋戦争では日本軍が那覇・首里に沖縄戦の要衝を置き、その前哨地として、ひどい激戦が続いた。ここらあたりの建物はほぼ全壊、どころか跡形もなく消え去った。
 この島にはずっと昔から今に至るまで、ほんとうにたくさんの困難が集まってき続けた。
 ふと未名子は自分自身にはそういう肖像写真がなかったんじゃないだろうかと気づく。未名子が生まれすぐに命を落とした母親とはもちろんのこと、父といっしょの写真もおそらくほとんど残っていない。肖像のない家族。証明として記録されていない自分自身の血族。
 結局、未名子の願いは、「この島の、できる限りの全部の情報が、いつか全世界の真実と接続するように。」ということ。
 このため、未名子は、「未名子が貯めて保存したデータはすべて、宇宙空間と戦争のど真ん中にある危険地帯のシェルター、南極の深海、そうして自分のリュックに入ったぎっしりのマイクロSDカードにカーボンコピーとして入っていて、いつだれが読んでもいい、鍵のないオープンなものにしてある」のだった。

 ここから先、鹿爪らしく解説を試みれば、いかようにも述べられるだろうが、そのどれもが正鵠を射るようには思われない。
(「文藝春秋」9月号所収)