ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

札沼線新十津川駅

シリーズ 駅 情景

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(写真1 札沼線かつての終着駅新十津川駅=2013年7月19日)

廃駅となった行き止まりの終着駅

 札沼線は分断の歴史だった。そもそも、札沼線が桑園-石狩沼田間の全線で開業したのは1935年だが、その後、戦時下において不要不急の区間として石狩追分-石狩沼田間などが営業休止に追い込まれ、全線での営業を再開したのは1956年だった。
 しかし、1972年になると新十津川-石狩沼田間が営業廃止となり、ついに今年2020年5月7日をもって北海道医療大学-新十津川間が廃止となった。それも、新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて、最終運行日は4月25日に前倒しとなり、さらに、緊急事態宣言の発出により最終運行日は4月17日に繰り上げとなり、ラストランも中止となるなど残酷な終末となってしまった。これは、いわば、鉄道ファンに限らず地元住民にとっても親の死に目にも間に合わないようなこととなってしまったのだった。もっとも、最終運行日が繰り上げとなったのは、連休が続く5月7日では鉄道ファンなどが押しかける事態を回避する狙いもあった。
 結局、札沼線は桑園(すべての列車は一つ隣の札幌発着)-北海道医療大学間30.5キロが残るばかりとなった。全通時桑園-石狩沼田間は111.4キロだったから27.4%にまで削られたこととなった。
 それにしても、札沼線は新十津川まで乗り通そうとするととても不便な路線だった。札幌に近い石狩当別あたりまでは列車本数も多いから問題ないのだが、廃止直前になると、新十津川まで到達できる列車は乗り継いでも何と日にわずか1本しかなかったのである。

 札沼線には何度か乗ったが、2013年7月19日のノートをひもといてみよう。次のような記述がある。
 札幌7時00分発札沼線石狩当別行き。札幌駅10番線からの発車で、ディーゼルカーの6両編成。なかなか大きな編成だが、これは近年札幌通勤圏として沿線の宅地化が進んでいるから。
 実際、乗っている下り列車は高校生がちらほらする程度でがらがらだが、すれ違う上り列車は満員の様子。
 札沼線は、桑園(列車はすべて札幌発着)から、石狩平野の北端にあたる新十津川を結ぶ路線で全線76.5キロ。沿線には複数の大学が設置されているらしく、学園都市線という愛称がつけられている。
 あいの里教育大などと進み石狩太美に至って広大な石狩平野の中央部となってきた。このあたりは田園地帯の様相で、稲作が目立って多い。これは畑作が多い十勝や富良野などとは決定的に違った風景である。酪農が中心の地域にはサイロが多いのでその違いがわかる。
 石狩当別7時38分着。この列車の終点で、新十津川行きに乗り継ぐ。次の北海道医療大学までが電化区間で、ここで運転系統が変わる。
 次は1両のディーゼルカーワンマン運転で、7時45分の発車。この先は札沼線も極端に列車本数が減少し、新十津川まで向かう列車は日にわずか3本しかない。

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(写真2 列車交換の行われた石狩月形)

 石狩月形8時19分着。途中から乗ってきた高校生たちはここで全員下車した。高校生が降りたら車内はがらんとした。残ったのはわずかに3人。そのうちの一人の人が言うにはいつもせいぜい一人か二人だと。また、駅員が言うにもゼロの時すらあると苦笑い。
 発車は8時40分で、随分と長い待ち合わせ時間だなと思って駅員に尋ねたら、列車交換のできる場所は新十津川までの間ここしかないのだという。
 月形を出てすぐ右に広大な敷地に多くの建物が見えたが、これが月形の刑務所であろう。ここは開拓時代月形監獄として知られたところ。
 途中、浦臼で二人が下車したら残ったのは結局私一人になってしまった。

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(写真3 見渡すかぎりの田んぼが広がる車窓。石狩平野である)

 新十津川が近づいたら沿線は見渡す限りの田んぼとなった。北海道の稲作の中心で、この頃は北海道産の米もうまいと評判がよく、大規模農業が発達しているようだ。

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(写真4 新十津川駅で出迎えてくれた可愛い子供たち)

 新十津川9時28分定刻到着。出迎えてくれたのは可愛い幼児たちで、いずれも2歳になるという男の子と女の子。近所にある保育園の保母さんがついていて皆さんそろいの黄色いティーシャツを着ている。歓迎の挨拶を書いた手製のはがきも手渡してくれた。
 列車が着くたびに(といっても日に3度だが)迎えに出ているようで、温かい歓迎ぶりに大感激だった。また、駅構内外は色とりどりの花がいっぱいでとても美しかった。

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(写真5 駅舎もホームも花いっぱいの新十津川駅)

 このようにとても印象深い終着駅で、いつまでも残しておいてほしいと願いたくなるようだった。
 この日は、この新十津川から函館本線の滝川まで足を伸ばした。両駅間は石狩川を挟んで最も接近しているところで、タクシーで10分ほどだった。

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(写真6 雪に埋もれそうな石狩当別駅。雪かきされた歩道は背の高さほどの雪=2012年2月10日)

 実は1年前の2012年2月10日にも全く同じルートをたどった。ただ、この時は、札沼線の列車は大雪のため途中の石狩当別で運転中止となってしまい、やむを得ずいったん札幌まで戻り、特急列車で滝川へ向かったのだった。そうしたところ、何のことはない滝川では当初予定していた列車を捕まえることができたのだった。無駄に大回りしたように思えて、実は函館本線の特急列車が速かったのだった。

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(写真7 雪に埋もれた新十津川駅=1994年2月14日)

 一方、函館本線の滝川と札沼線の新十津川を短絡するということでは、1994年2月14日に実行したことがあった。この日は、今は廃線になった深名線に乗った後、滝川から新十津川に渡り、札幌をめざしたのだった。この時のノートには「折り返しのディーゼル1両が定刻9時22分より少し遅れて到着した。乗客が一人いたのに驚いたくらいだ」とあった。9時41分の発車だが、「1日3往復。乗客は自分のほか一人。しかし、ホームの雪はきれいに除雪されていた」ある。
 新十津川は、奈良県の十津川から移住した人々が開拓したところなそうで、この名がついている。