ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

アーナルデュル・インドリダソン『湖の男』

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エーレンデュルシリーズ

 アイスランドの警察小説である。『湿地』『緑衣の女』『声』と続く傑作揃いのエーレンデュルシリーズの4作目。
 主人公は、首都レイキャビック警察の犯罪捜査官エーレンデュル。その年下の同僚であるエリンボルクとシグルデュル=オーリが加わる。
 湖で骸骨が発見された。湖の水が干上がって骸骨があらわになったものらしい。骸骨には強く殴られて空いたものと思われる穴があった。また、骸骨にはコードが巻き付けられ、重い金属製の黒い箱がくくりつけられていた。箱は通信機器のようで、かすかにキルリ文字が読み取れた。
 検死の結果、殺人と断定され、1960年から1975年の間に行方不明になった男性に捜査は絞られた。
 他方、「男」の述懐がパラレルに進んでいく。クレイヴァルヴァトゥン湖で骸骨発見というニュースをテレビで見て、「このニュースを長いこと待っていたような気がした」し、「思い出せるかぎり、自分はずっと社会主義者だったと彼は思った」。彼は高校を卒業すると、東ドイツのライプツィヒの大学に留学する機会を与えられた。東ドイツ社会主義統一党の招きによるもので、社会主義の国を内側から見るめったにないチャンスだし、彼は「社会主義が実践されているところを見たかった」のだった。
 捜査の該当者は8人に絞られた。エーレンデュルの何事もないがしろにしない地を這うような捜査が進められる。
 手探りのように進められている捜査が、実に精微に描かれている。捜査対象者の人生が掘り下げられ、同時にエーレンデュルやエリンボルクとシグルデュル=オーリの生活が詳細に挟まれていく。
 読み進むつれて、アーナルデュルの意図に気づく。この謎解きに単行本400ページを超すような長編がなぜ必要なのか。著者はミステリーを書くといいながら、アイスランドの歴史と現在の立ち位置、生活を描いていたのだ。
 アイスランドは、北極圏に近い人口わずかに30数万人の小さな国。北海道よりはちょっとだけ大きい程度の面積しかない火山島で、漁業と牧畜が主要な産業。単一民族で、日頃はファーストネームだけで呼び合い、姓は一般的には使わないそうである。首都のレイキャヴィクは人口20万人。長い冬と短い夏があり、早い秋が訪れると雨がしとしとと毎日降り続く。
 NATOの創立以来のメンバーだが、軍備は持たない。沿岸警備隊があるだけ。卓越した外交があり、1986年にはレーガン大統領とゴルバチョフ書記長との会談をセッティングし冷戦終結に向けたきっかけとなった。
 また、金融立国であり、教育レベルと文化程度は高く、コンピュータが普及している。国民のデータベース化が図られ、遺伝子データベースなどというものまである。
 アイスランドとその首都レイキャビックを緻密に描くというのはこれはアーナルデュルの作風で、全般に哀調を帯びているところもシリーズの特徴で、魅力ある舞台、魅力ある主人公、魅力あるストーリー、本作もこの三つが揃った傑作である。
(東京創元社刊)