ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

沖縄本島最北端辺戸岬

特集 私の好きな岬と灯台10選f:id:shashosha70:20200506141912j:plain

 (写真1 辺戸岬の先端=1990年8月9日

本土復帰を願って叫んだ岬

 辺戸岬(へどみさき)は、沖縄本島最北端の岬。この岬の西側が東シナ海であり、東側は太平洋である。沖合約20キロ先は鹿児島県の与論島である。米軍占領下、沖縄の人たちはこの岬から与論島に向けて本土復帰を願って叫んだそうである。岬には、「祖国復帰闘争碑」という大きな石碑が立っていて沖縄の苦難の歴史を物語っている。
 辺戸岬へは、那覇市街から130キロ、約3時間の道のり。まずは沖縄自動車道で終点の許田インターまで行く。約70キロ。高速を降りると名護市街で、ここからは国道58号線をひたすら北上する。この国道は那覇から続いていてまるで沖縄本島を背骨のように貫いている。名護からは東シナ海を左に見ながら海沿いに進む。
 この日(2016年11月27日)は日曜日だったし、土砂降りだし、朝も早かったから道は空いていて、前後に車影が見当たらず、すれ違う車も時折出くわすだけ。この道は片側一車線で、追い越し禁止区間が延々と続いているから、普段ならのろのろ運転になるところだが、この日ばかりはほとんどノンストップ。それで思いの外はかどって、辺戸岬には約2時間で到着した。計画よりも1時間も早まった。

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(写真2 岬は珊瑚礁が隆起した断崖絶壁になっていて、はなはだダイナミックな景観となっている。=2016年11月27日)

 岬では篠突く雨が降り続いている。しかも、風が猛烈に強い。しかし、岬好きのこと、この程度のことは織り込み済み。ただ、傘はキノコになってしまうし、骨も折れ曲がってしまった。何よりも困るのはカメラのレンズも曇ってしまうし、足を踏ん張っていても強風にあおられて体が揺れるし、カメラを持つ手が震えること。
 岬は台上になっていて、周辺は四六時中風が強いのだろう。丈の低い這うような樹木しか見当たらない。まるで沖縄とは思われないような樹相だ。地面は多孔質の尖った石で覆われている。サンゴ質だろう。

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(写真3 岬の後背地に目を向けると岬全体は鋭く突き出て台状になっている=2010年9月29日)

 後背地に目を向けると、断崖絶壁が続いている。高さは数十メートルにもなるだろうか。おそらくサンゴ礁が隆起したものであろう。晴れていれば楽しみな景観だが、この日ばかりは絶壁に立つことをさすがにためらった。

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(写真4 岬の先端に建つ祖国復帰闘争碑=2010年9月29日)

 岬の突端は少しだけ小高くなっており、「祖国復帰闘争碑」という石碑が建っている。ここが岬の、沖縄本島の最北端にあたる。晴れていれば海上20キロほど先に鹿児島県の与論島が見えるはずで、沖縄の人たちは復帰を願って大きな声で叫んだということである。この碑は1972年5月15日の沖縄返還に際し建てられた。
 碑には、「全国のそして全世界の友人へ贈る」と題し、吹き渡る風の音に耳を傾けよ 権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ 打ち寄せる波濤の響きを聞け 戦争を拒み平和と人間解放と闘う大衆の雄叫びだ……」とあった。
 あの時代、沖縄はアメリカの占領下にあり、沖縄に渡るにはパスポートが必要だった。座標は岬の突端の位置で北緯26度52分18秒とあり、本土と沖縄の境界は27度線上に置かれていたからなるほど近い。なお、あまり知られていないが、沖縄県の最北端は久米島町の硫黄鳥島である。
 岬には大きな駐車場があるのだが、訪れる人は稀だった。公衆トイレがあり、売店が営業していた。焼きそばや飲料を売っていたが、客はさすがに一人もいなかった。
 しばらく雨が小降りになるのを待っていたが、強まりこそすれ弱まりそうにもなく、それで、帰途は灯台を探索することとした。

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(写真5 辺戸岬灯台の様子=2007年12月7日)

 辺戸岬灯台は、実は、岬先端の台上にはなくて、岬の西側、東シナ海に面してある。岬の先端からは那覇に戻るように走ると約5分、国道の右側にある。
 はなはだ見つけにくくて、私はこれまでに四回辺戸岬を訪ねているが、見つけたのは一度だけで、残る三回は空振りだった。
 特に標識があるわけでもなく、初めて見つけたときの記憶を頼りに畑の中を走り、藪の中をこいで行くのだが、国道から1キロか2キロほどか、鬱蒼とした樹木の奥まったところにある。
 灯台は頑丈に張り巡らされた塀に囲われているので近づくのも難儀。小ぶりで、高さは10メートルほどか。灯器はLEDのようだ。初点銘盤を見つけることはできなかったが、業務開始年月日は昭和47年5月15日とあり、これは沖縄返還の日である。これより以前から灯台はあったようだが、詳しいことはわからない。
 なお、辺戸岬灯台の位置は、北緯26度52分2秒であり、祖国復帰闘争碑のある辺戸岬先端よりは緯度で16秒違っており、その分、南寄りということになる。

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(写真6 岬全体を見下ろすヤンバルクイナ展望台からの眺望=2016年11月27日)

 

<辺戸岬灯台メモ>(灯台表等から引用)
 航路標識番号(国際番号)/6983(なし)
 名称/辺戸岬灯台
 位置/北緯26度52分2秒 東経128度14分51秒
 所在地/沖縄県国頭郡国頭村
 塗色・構造/白色塔形
 灯質/単閃白光 毎6秒に1閃光
 光度/3700カンデラ(実効光度)
 光達距離/12.0海里
 灯高/11メートル
 灯火標高/71メートル
 業務開始年月日/1972年5月15日
 管理事務所/第十一管区海上保安本部