ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

九州最南端大隅半島佐多岬

f:id:shashosha70:20200412121047j:plain

特集 私の好きな岬と灯台10選

f:id:shashosha70:20200412121203j:plain

(写真1 岬の突端から沖合50メートルの小島大輪島に建つ佐多岬灯台)

岬好きにたまらない魅力

 佐多岬は、大隅半島最先端にあり、九州つまり本土最南端になる。大隅半島は、鹿児島湾(錦江湾)を囲む大きな蟹の爪のような形をした二つの半島のうち、薩摩半島に対置して右側つまり東側に位置している。半島は、東岸は太平洋に面し、くさびのようにも見えて誠に鋭い。半島は、北は半島の付け根に当たる国分あたりから地図上で単純に計算すれば、南北に約90キロほどか。これは房総半島よりも長いのではないか。なお、当地佐多岬は〝さたみさき〟と読み、愛媛県で豊予海峡に面した佐田岬(さだみさき)とは全く別の岬である。念のため。
 佐多岬へ向かうには、大きくは二つのルートが考えられる。一つは、薩摩半島を下れるだけ下って途中から船で錦江湾を対岸の大隅半島へ渡るルートで、二つ目は、宮崎からどこまでも陸路でめざすルートである。

f:id:shashosha70:20200412121725j:plain

(写真2 指宿枕崎線山川駅)

 一つ目のルートをたどってみよう。まずは、指宿枕崎線で山川へ。この時(1989年10月7日)は、西鹿児島(現・鹿児島中央)6時21分発に乗車。桜島を左窓に見ながら錦江湾沿いにひたすら南下する。山川7時54分着。

f:id:shashosha70:20200412121833j:plain

(写真3 錦江湾を渡って山川港と根占港を結ぶフェリー)

 少し離れた山川港から8時30分発の南海郵船のフェリーで大隅半島の根占へ。40分の乗船9時10分着。乗船料380円。快晴で波は静かだったとこの時のノートにある。乗り継ぎが良くすぐに9時15分発の鹿児島交通のバスで佐多岬へ。途中、大泊で時刻表上は乗り継ぎとなっていたが、同じバスだった。

f:id:shashosha70:20200412122016j:plain

(写真4 北緯31度線のモニュメント)

大泊を出ると乗客はたった一人となった。辺鄙な岬を訪ねるとままあることだが、これはうれしいこと。岬が近づくと31度線のモニュメントがあったが、写真を撮ろうとしたらバスを停めてくれた。沿道にはハイビスカスの鮮やかな赤い花が咲いていた。
 10時45分佐多岬着。乗車時間は途中の乗り継ぎ時間も含めると1時間30分。結構な乗車時間だ。なお、バスの運行は、現在は大泊までで、佐多岬までは達していない。大泊からでも25分は要するから歩くには容易ではない。
 バス停のすぐ先にはトンネルがあって、ここからは民間運営の公園となり100円の入園料が必要だった。歩いて15分ほどで展望台に出た。

f:id:shashosha70:20200412122118j:plain

(写真5 展望台で記念撮影。今にして思えばどなたかシャッターを押してくれたものらしい)

 岬の先端に小島があり、佐多岬灯台はその上にあった。だから、灯台に歩いて直接渡ることはできないが、とても見晴らしがいい。南国らしい穏やかな海で、波浪も静かで、グリーンの海がきれいだ。岬先端周辺には蘇鉄やら南国の特有の樹木が多い。

f:id:shashosha70:20200412122233j:plain

(写真6 かすかに望める硫黄島。噴煙を上げている)

 柳田國男のエッセイ『佐多へ行く路』に「実際此岬まで来ると、南の島一列の飛石であったことがよく分かる。黒島でも竹島でも硫黄島でも、佐多の岬の端に立って見ると、顧みて薩州の山を望むよりは猶親しい」とあって、なるほど展望台から遠望すると、硫黄島が噴煙を上げているのが見える。硫黄島は活火山だったのである。

f:id:shashosha70:20200412122338j:plain

(写真7 展望台で発行していた佐多岬の到達証明書)

 帰途は同じルートを折り返したが、山川からはまっすぐ鹿児島には帰らず、指宿枕崎線で西大山を経て枕崎まで足を伸ばした。西大山駅は日本最南端の駅であり、枕崎駅は北の稚内駅に対置される南端の行き止まりの終着駅である。ちょくちょく来られるところでもなく、是非にも寄りたいところだった。
 一方、宮崎から陸路でめざす二つ目のルートはどうだったか。この時(2011年9月23日)は、宮崎からまずは日南線で志布志まで行った。
 宮崎6時49分発の普通列車。日南海岸を南下する路線で、途中、油津で乗り継いだ。この日は台風一過の秋晴れで、車窓にはすがすがしい青空に紺碧の海が広がっていた。少しして串間。串間は都井岬への最寄り駅。都井岬には20年ほど前一度来たことがあるのだが、その折にはこの串間から岬へバスが出ていた。現在は廃止されたし、岬のホテルも廃業してしまった。
 そう言えば、宮崎から列車で一緒になった80年配のおばあさん。どこへ行くのかと尋ねる。佐多岬へと答える。何しに。ただぶらりと。いかにも物好きとばかりに不思議そうな顔をする。で、汽車に乗って岬を訪ねるのが好きなのだと。そうしたら、佐多岬はいかにも遠いし何もない。岬なら都井岬がいい、きれいなところだし馬もいる、是非そうしなさいと薦める。このおばあさんは串間で下車したのだがまるで袖を引っ張らんばかりだった。結局はそうはならずそのまま乗り続けた。しかし、確かに都井岬にするか佐多岬にするかは悩んだところではあったのだが。
 串間を出て志布志湾が見えてきた。美しく大きな湾だ。

f:id:shashosha70:20200412122444j:plain

(写真8 志布志駅)

 志布志10時06分定刻着。宮崎から3時間17分もの乗車。この駅に降り立つのは1990年9月22日以来21年ぶりだが、駅前は何も変わっていないようだった。かつては、志布志から西都城へ志布志線、国分へ大隅線が出ていたが、両路線ともに廃線となっている。
 志布志からは手配しておいたレンタカーで岬へと向かった。10時15分出発。
 大隅半島は大きな半島で、志布志は半島の太平洋側の付け根にあたる。
 志布志からの国道はかつての大隅線と並行しているようで、串良、鹿屋などと通る。
 鹿屋を過ぎてほどなく海岸に出た。錦江湾で、右手後方に噴煙を上げる桜島がくっきりと見えた。想像以上に近い距離に見え、鹿児島市街から見るのとはまた違った風情があった。
 11時30分頃根占通過。薩摩半島の南端開聞岳が見えてきた。まるで洋上に浮かんでいるようで、富士山のようなシルエットが美しい。かつて初めて佐多岬を訪れた際には、薩摩半島の山川港からフェリーでこの根占港に渡ったのだった。
 佐多の集落からは山中へと分け入り岬へと登攀にかかる。佐多岬ロードパークにかかると岬はもうすぐだ。この岬への取り付け道路はかつては有料道路だったが、現在は管理するものもいなくて無料となったようだ。
 途中、北緯31度線のモニュメントがあった。それによると、ここはニューデリー、ニューオーリンズ、カイロ、カラチ、上海などと同緯度らしい。

f:id:shashosha70:20200412122552j:plain

(写真9 駐車場のそばにあった南国の樹林。密林のようだ)

 ロードパークの行き止まりに駐車場があった。ここまで志布志からちょうど2時間の道のり。ここからは徒歩で岬へと向かう。ヤシやシュロ、ガジュマルなどといかにも南国の樹林で、まるで密林のような趣だ。

f:id:shashosha70:20200412122643j:plain

(写真10 22年ぶりに同じ場所で記念撮影)

 約10分ほどでいきなり眼前が明るく開けた。「本土最南端佐多岬」の標柱が立っている。座標は北緯30度59分10秒、東経130度39分42秒である。
 さらに展望台に登るとすばらしい眺望で、左右遮るものとてない。両手をいっぱいに伸ばして足りないから270度もの広がりだ。
 右に東シナ海、左に太平洋が広がっている。灯台はすぐ目の前の小島に設けられている。岬の突端から小さな島が点々としているのだが徒歩では渡れない。だから、灯台には直接触れることはできない。
 海上に目を向けると、右端が開聞岳で、正面にむくむくと噴煙を上げている島が見える。これが活火山の島、硫黄島である。八の字のようなごつごつした山容だ。左奥には種子島と屋久島も見えた。
 とにかくこの日は快晴で、これほど見通しのきくこともすくないのだろうが、海上を見晴るかすようにどこまでも展望できた。
 この岬に立ったのは1989年10月7日以来ほぼ22年ぶり2度目だが、いつ来ても眺望のすばらしい岬で、岬好きとしてはたまらない魅力に富んでいるのだった。
 それにしても、最果てという感じが薄いのは、やはり南国だからであろうか。秘境ではあるのだが。

f:id:shashosha70:20200412122748j:plain

(写真11 小島の上の灯台)

<佐多岬灯台メモ>(「灯台表」等から引用)
 航路標識番号6701(国際番号M4836)
 名称/佐多岬灯台
 位置/北緯30度59分32秒 東経130度39分34秒
 所在地/鹿児島県肝属郡南大隅町佐多馬籠字岬
 塗色・構造/白色塔形 コンクリート造(現在は3代目、初代鉄造)
 レンズ/第三等大型フレネル式
 塔高/12.6メートル
 灯火標高/68メートル
 灯質/群閃白光毎16秒に2閃光
 光度/40万カンデラ
 光達距離/21.5海里(約39キロ)
 明弧/242度~150度
 初点灯/1871年(明治4年)10月18日
 歴史/いわゆる江戸条約8等台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)の一つ。日本の「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計・指導した鉄造灯台だった。
 1945年(昭和20年)3月18日太平洋戦争の攻撃で破壊される。1950年5月コンクリート造で再建。
 管理事務所/第十管区海上保安本部鹿児島海上保安部