ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

二つの車窓風景を持つ五能線の旅

f:id:shashosha70:20191213171316j:plain

私の好きな鉄道車窓風景10選

f:id:shashosha70:20191213171431j:plain

(写真1 車窓には荒々しい岩礁が連なっている。遠くに夕陽が没する様子。時刻は15時39分とカメラにある。晴れていればさぞかし美しかったものであろう)

荒々しい海岸線と豊かな田園地帯

  五能線は二つの車窓風景を持っている。一つは絶景が続く荒々しい海岸線だし、もう一つは岩木山の裾野をぐるっと回る穏やかな内陸部だ。また、海岸線だけなら五能線は冬がいいし、内陸部ならりんごの花が咲く春から初夏がいいし、りんごの実があかあかと色づく秋も捨てがたい。だから、五能線の車窓を堪能するなら様々な季節に出掛けるのがいい。
 五能線は、秋田県の東能代駅と青森県の川部駅を結ぶ路線。両駅とも奥羽本線上にある。全線147.2キロ。大きくは白神山地をぐるっと回り込むようになっていて、初め日本海を北上し、鰺ヶ沢から内陸部へと分け入る。

f:id:shashosha70:20191213171529j:plain

(写真2 リゾートしらがみ5号、青池編成の列車である)

 11月29日五能線に乗りに出かけた。まずは上野9時14分発のこまち9号で秋田へ。13時04分着。ここで13時52分発リゾートしらかみ5号五能線経由青森行きに乗り継ぎ。1日3本運行されている全席指定の季節運転の観光列車で、窓が大きいし、車両の前後には展望座席もあった。列車番号によって愛称がついていて、私たちが乗ったのは青池編成だった。各編成によってボックス席があったりと少しずつ座席配置が異なるようだ。
 窓外は雪が舞っている。広大な八郎潟を左窓に見ながら進む。八郎潟はかつては琵琶湖に次ぐ湖だった。私は干拓前の八郎潟を見たことはないが、干拓されてどこまでも広がる田んぼはかえって八郎潟の広さを実感できるようだった。

f:id:shashosha70:20191213171615j:plain

(写真3 五能線の起点東能代駅ホーム)

 東能代到着。奥羽本線を走ってきたが、ここからが五能線。ホームの端に五能線起点駅の表示があった。7分停車して14時55分の発車。
 私たちの席は進行右側。五能線は海岸沿いの区間は断然左側の席がいい。しかし、切符を買いに行ったら左側の席はすでに満席だった。4両編成の快速列車だが人気なのであろう。
 能代を経てしばらく陸地を走っていたが、八森で海に出た。秋田音頭にある通りハタハタで知られる。大間越、十二湖。艫作﨑が遠望できてウェスパ椿山到着。リゾート地で、洋風の建物が点在していた。なお、椿山は全国各地にある地名だが、ここは、この周辺が椿の咲く北限から名づけられたものであろうか。この日はここまで。
 ウェスパ椿山からは翌30日に乗り継いだ。8時59分発弘前行きに乗車。東能代から川部まで五能線内をきっちり乗り通せるわずかに1日2本の普通列車である。途中での乗り継ぎも含めれば4本ある。車両のことはあまり詳しくはないがキハ40であろうか。3両編成だが、最後部の1両は深浦までは回送扱いとなっていた。
 少ししてその深浦。沿線の中心。乗っている車両はそのままだが、列車番号がここで変わった。

f:id:shashosha70:20191213171706j:plain

(写真4 冬の日本海特有に鈍色の空と海)

 そしてこの前後からが五能線のハイライト区間。岩礁が荒々しい風景を際立たせ、鈍色の日本海が荒涼として広がる。追良瀬(おいらせ)、驫木(とどろき)、風合瀬(かそせ)と難読駅が続く。馬が三頭重なっていななくとはすごい。駅名を聞いただけで冬の厳しさがうかがい知れる。なお、驫木の駅前に真新しい住宅が1軒建っていた。以前はなかったように思うが。

f:id:shashosha70:20191213171811j:plain

(写真5 海上の小島に見えた鳥居埼燈台。白地に赤帯2本が特徴)

 大戸瀬の手前あたりだったか、海上の小島に灯台が見えた。白地に赤横帯2本が特徴で、「灯台表」によれば鳥居埼燈台というらしい。なお、大戸瀬埼燈台はこの近く、高台にあるが、列車からは目撃できなかった。
 洗濯板のようにも見える千畳敷の海岸を経て鰺ヶ沢。かつて津軽藩海運の拠点だったところ。海岸線はここまで。この先は津軽平野となる。早くも岩木山が右窓に見えてきた。ここから先は進行右側の席が良い。列車は幸い空いていたので、左から右へと席を移動した。
 五所川原は沿線随一。ここから津軽鉄道が津軽中里まで北へ伸びている。途中に太宰治の生家がある金木駅がある。ストーブ列車で有名だが、今日は寄らない。

f:id:shashosha70:20191213171922j:plain

(写真6 曇っていてすっきりとはしていないが岩木山が最も美しく見える区間)

 岩木山がますます近づいてきた。通称津軽富士。美しい山容だ。林崎のあたりだったか、隣のボックス席に座っていたおばあさんが、小学校3年生くらいか、連れの孫に「このあたりから見る岩木山が一番美しいんだよ」と教えていた。なるほど、実際、美しい。沿線にはりんごの木が目立つ。雪を被っている。

f:id:shashosha70:20191213172011j:plain

(写真7 川部駅ホームには五能線終点の標識)

 そうこうして川部到着。奥羽本線との合流駅。11時39分。ホームには「五能線終点駅147KM137M」との看板があった。五能線はここまでだが、すべての列車はここで反転して弘前へと向かう。
 近年では観光列車まで走るようになった五能線だが、かつては鉄道ファンの間でわずかに知る人ぞ知るような地味な路線だった。
  初めて五能線に乗ったのは1989年6月18日だった。ちょうど30年前ということになる。この時は、龍飛崎を訪ねた後弘前に宿を取っていて、翌早朝五能線に乗ったのだった。当時の時刻表によると、川部から東能代まで行く列車は途中駅での乗り継ぎを含めても4本しかなかった。当時は観光列車など運転されていなかった。もっとも、季節運転の観光列車を除けば普通列車の運転状況は現在と変わらない。

f:id:shashosha70:20191213172108j:plain

(写真8 1989年6月18日の乗車では、左窓に続くりんご畑ではりんごに袋をかぶせる作業が行われていた。けだし、津軽の春の風物詩だろう)

 この時のノートによれば、弘前6時52分発鰺ヶ沢行きの列車に乗車、「沿線にりんご畑が続く。ちょうど選別の季節らしく、袋をかぶせている」とある。岩木山は残念ながら雲に隠れて見えなかったようだ。五所川原で30分も停車。
 やがて終点鰺ヶ沢到着。6月も中旬なのに服装にはまだ衣替えをしていないような人たちが多い。
 車窓は右が日本海。東能代に向かう列車だから気がついたが、前方遠く男鹿半島が見えている写真があった。
 東能代到着は11時45分で、川部から実に4時間40分ほどの乗車である。もっとも、現在でも直通列車ですら4時間20分ほど要しているから事情はさほど変わってはいない。
 五能線は好きな路線だから、これまでに全線を通しては4回乗ったし、一部区間の乗車も含めると6回も乗っている。
 春にも秋にも、夏にも冬にも乗っているが、どの季節にも魅力があるのだが、もっとも印象深いのはやはり厳冬期か。今からちょうど10年前の2009年には2月7日に乗った。この時は、前夜上野発21時45分発の寝台特急あけぼのに乗り翌7日に東能代に降り立ったのだった。秋田では早朝にもかかわらずホームで温かい弁当の販売があったし、東能代ではホーム反対側で五能線列車がすでにアイドリングして発車を待っていた。
 こういう瞬間が激しく旅情を感じるときで、思えばかつての岬への旅は、この時のように金曜夜の夜行寝台で九州へ、四国へ、山陰へと向かったものだった。早朝の青森駅に降り立ったときなど、あまりの大雪におののき寂しくなり、そのまま引き返したくなるような気分のこともあった。

f:id:shashosha70:20191213172155j:plain

(写真9 寝台特急あけぼのの車内=2009年2月7日)