ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

襟裳岬紀行

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特集 私の好きな岬と灯台10選

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(写真1 襟裳岬。襟裳岬灯台がわずかに頭をのぞかせている)

激しい旅情に涙する風の岬

 襟裳岬。何と激しい旅情を感じさせる岬か。強風に足を踏ん張って耐えながら岬の突端にたたずんで荒涼たる風景に身を置くと知らず瞼に涙がにじんでくる。
 岬はその地形上全国どこでも風は強いものだが、襟裳岬はことのほか年中強風に晒されていて、風速10メートル以上の風の吹く日が年間260日にも290日にもなるというから驚く。時には50メートル以上の暴風の吹く日もあるのだそうで、こうなると外を出歩くこともできないのだという。これはかつて泊まった旅館の女将が話してくれた。
 襟裳岬は、北海道の中央、背骨に当たる日高山脈が150キロも南に向かって伸び、太平洋に鋭く没したところ。現地に立っていてはその鋭さはさほど感じにくいのだが、航空写真で見ると、まるで石の矢じりのようにも見える。この様子は室戸岬にも似ている。
 襟裳岬はとても不便なところ。西側からなら、苫小牧から日高本線で約2時間20分、終点様似下車。更にバスで約32キロ50分のところ。東側からなら、帯広からかつての広尾線沿いをバスでひたすら南下して約2時間20分。更に広尾で乗り継ぎ約40キロ1時間の道のり。日高側からも十勝側からもほぼ等距離。私はこれまでに二度襟裳岬を訪れたが、いずれも様似から岬に向かい、広尾へ抜けた。

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(写真2 日高本線様似駅。初めて訪れた1988年には駅舎には商店も入っていた)

 初めて襟裳岬を踏破したのは1988年10月1日だった。この当時、岬巡りを意識して趣味とした初期の頃で、足繁く全国各地へ出掛けていた。地図を開いては次はどこへ行こうかと練っていたのだが、そういう中でも襟裳岬は熱望していたのだった。同じ月に室戸岬を訪ねているからよほど岬巡りに熱を上げていたのだろう。
 当時のノートをひもといてみると、苫小牧9時44分発普通637D列車様似行きに乗車したとある。3両編成で、右窓に大海原が広がり、様似13時25分到着だった。3時間41分の乗車ということになる。
 なお、北海道へは、この年の春に青函トンネルが開通し運行を開始した寝台特急北斗星1号でやってきたのだった。夕食は食堂車でフランス料理のフルコースを食べたことを今でも鮮明に思い出す。
 二度目は2010年2月11日だった。22年ぶりということになる。大好きな岬にしては間が空いているが、それだけ不便なところと言うこともできる。
 この時は、前夜空路札幌に入っていて、当日、苫小牧10時17分発2227D列車様似行きに乗車した。1両編成で、22年前は3両編成だったから、この間に乗客は激減したのであろう。様似13時35分の到着で、2時間18分の乗車。
 時代が進んで1時間以上も短縮されたのはいいが、ちなみに現在は、2015年の高波被害から断続的に発生した災害の影響で、鵡川-様似間が不通となっている。全線146.5キロのうち116.0キロもの区間が不通となっているわけで、JR北海道はこの間の廃止を表明している。襟裳岬はますます遠くなる。
 様似からはバスが出ている。路線名日勝線といい、実は、昔、様似から延伸して襟裳岬を経て広尾に至る鉄道路線としての日勝線の計画があった。現在はバスの路線名にその名が残っているわけだ。もし、鉄道路線が開通していれば、襟裳岬は一大観光地となっていたかも知れないし、わくわくするような路線だったのではないか。
 さて、二度目となった2010年2月11日。様似駅14時00分発JRバス日勝線広尾行き。乗客は発車時点でたった一人。途中から一人のお年寄りが乗ってきてすぐに降りたから道中の大半は貸し切りバスの様相だ。

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(写真3 襟裳岬のバス停留所)

 様似から約1時間で襟裳岬。坂道を登りながら目指す停留所が近づいたらバスの運転手が「風が強いので帽子を吹き飛ばされないよう注意してください」と丁寧にアナウンスしてくれた。帽子止めをしっかり締めて下車した。
 なるほどこの日も風が強い。真冬ということもあって、ほかに人っ子一人としていない岬は、耳がちぎれ頬が凍りついてしまうような寒さだ。岬周辺に樹木が一本も見当たらないからなおさら風が強いのだろう。

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(写真4 岬の先端からは沖合数十メートルにまで岩礁が転々と連なっている)

 岬は、日高山脈が鋭く海に突き出た形となっている。それも山脈の延長が段々と海に下ってきたという様相で、終わりは海岸段丘が絶壁となって海に落ちている。断崖は高さ約60メートル。さらにその先には岩礁が沖合数十メートルにまで点々と連なっている。

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(写真5 襟裳岬突端)

 劈頭に立つと、風が強くて足もとがふらつく。しかし見晴らしはいい。自分の立っている後背地を除いて遮るものはないから270度ほどの眺望だろうか。眼前に大きな太平洋が広がっている。両手を広げて崖から飛び降りたい、人間飛行機になれるのではないか、思わずそんな誘惑にかられる風情だし、風が強くとも、寒くとも、いつまでもたたずんでいたいと思わせる岬だ。

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(写真6 襟裳岬灯台)

 突端の一段と高い所に襟裳岬灯台が立っている。白亜のややずんぐりした灯台だ。塔高は13.7メートル。そう言えば、龍飛崎も神威岬も風の強い岬の灯台は背がやや低かった。

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(写真7 襟裳岬にある二つの歌碑。歌謡曲の歌詞で、手前が森進一)

 岬には、歌碑が二つある。いずれも襟裳岬を歌った歌謡曲のもので、一つは島倉千代子、今一つが森進一のもの。森進一の『襟裳岬』はレコード大賞にもなって襟裳岬を一躍有名にした。歌詞の〝何もない春〟はなるほど襟裳岬を上手に表現しているし、なおさら叙情をかき立てられる。私も劈頭に立って大きな声で歌ったが、風に吹き飛ばされて声が散ってしまった。

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(写真8 岬の付け根にある襟裳の集落。昆布漁で知られる)

 この日の宿は、岬からほど近い集落にある旅館にとった。この宿も、22年前に初めて訪れた時にも泊まった旅館だったのだが、建て替えられて新しくなっていたし、女将も母から娘へと代が変わったようだった。
 その女将の話によると、積雪はいつの年でも多くはないのだという。ただ、いつまでも寒くて、夏でも20度を超す日は何日もないから、季節に夏がないようなもので、季節は春、秋、冬と巡るのだと自身苦笑いしながら言っていた。
 また、風は本当に強くて、風のない日のほうが珍しいのだといい、だから、木はまっすぐに伸びられないし、高い木も育たないのだという。
 日本の灯台50選。

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(写真9 31年前1988年の襟裳岬に佇む筆者)

<襟裳岬灯台メモ>(「灯台表」、ウキペディア等から引用)
 航路標識番号0120(国際番号M6802)
 名称/襟裳岬灯台
 所在地/北海道幌泉郡えりも町
 位置/北緯41度55分33秒 東経143度14分38秒
 塗色・構造/白色塔形コンクリート造
 塔高/13.7メートル
 灯火標高/73.3メートル
 レンズ/第3等大型フレネル式
 灯質/単閃白光毎15秒に1閃光
 実効光度/72万カンデラ
 光達距離/22海里(約41キロ)
 明弧/全度
 初点灯/1889年6月25日(なお、初点灯時は第1灯だったらしい。第2次世界大戦で破壊された)
 管理事務所/第一管区海上保安本部