ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

髙村薫『我らが少女A』

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ダイヤグラム上で誰が交差するのか

 池袋で風俗の若い女が同棲相手の男に殴打され殺された。この事件そのものは男が自首しており何の謎めいたところもないのだが、男は取り調べで、女がいつだったか使い古しの絵の具のチューブを男に見せて、何年か前に武蔵野の野川公園で殺された人が持っていたものだ、その場所に落ちていたから拾ったと語っていたと供述した。
 実は、この事件は、スケッチ中の老女が野川公園で殺されたもので、未解決事件となっていた。男の供述は未解決事件を扱う特命捜査対策室にもたらされ、12年ぶりに事件は動き出す。当時、事件の捜査責任者だったのは合田雄一郎で、奇しくも合田は野川公園にほど近いとこにある警察大学校の教官になっていた。
 ここから髙村のいつもの淡々とした物語が始まる。ディテールが徹底していて、まるで無言の動画を見ているようでもあり、動画を細大漏らさず文章化したようでもある。
 ところで私は、本を読みながら傍線を引いたり、余白にメモをしたりする習慣がある。この本ではいつになく傍線箇所が多かったが、傍線箇所をそのまま書き起こしてみた。どういう意味があるのか、積極的なことはわからないが。なお、括弧内はメモの部分である。

平日も休日も、上り下りともに十二分間隔で、
西武多摩川線
路線は多摩川の砂利を運んでいた百年前のままの単線で、
多磨駅のホームでは若い駅員が一人、
駅員は名を小野雄太、
カンカン、カンカンという音は、
五十五秒ほど続く。三十五秒過ぎに電車の音が混じり始め、四十五秒過ぎに電車が踏切を通過して駅に入ってゆき、
小野が高校一年のとき、地元の小金井市立東中学の美術教師だった人が野川公園で殺される事件があり、小野たち教え子が参列した葬儀には捜査員も数名来ていた。そのときの一人で、小野たち卒業生が殺された先生について捜査員からあれこれ尋ねられたとき、後ろで黙って聞いていた人だが、向こうは成人して駅員となった小野には気づいていない。小野のほうも、その人の名前はもちろん、警察大学校の教官なのか、それとも警察学校のほうのそれなのかも知らない。
合田雄一郎、
東京高裁判事で、名前を加納祐介
ああ上田朱美だ、
(心の動きを細かく追う)
栂野真弓
その上田朱美は、数分前に心臓が止まった。朱美が使い古しの絵の具のチューブを一つ見せて、何年か前に武蔵野の野川公園で殺された人が持っていたものだ、その場所に落ちていたから拾った、
取調室の被疑者の話は、池袋署の刑事たちを驚かせる。
コールドケースを扱う特命捜査対策室
事件の発生は二〇〇五年
当時の事件係は誰だ? 合田? あいつは警大だったか——?
子どもでも大人でもない異形の生物が、
あのときの少女A
浅井隆夫
浅井忍 
物語は、いまから十一年と三ヶ月前の、二〇〇五年十二月二十五日日曜日へと遡る。
祖母が死んだと聞かされても、まずは雑誌のページを一枚めくるような感じでしかなく、
(霧が地を這うような、陰々とした表現)
あ、そうだ。捜査本部にいた合田っていう刑事さん、元気ですか? 何かさあ、かび臭い図書室に座っている司書って感じ。ぼくと違って、頭の中身が徹底的に整理整頓されていてさ。とにかくあのお祖母さんの機嫌が悪かった理由は、栂野真弓が知っていると思うよ。合田さんにもそう言ったはずだけど。
主な登場人物は、栂野節子、栂野雪子、栂野孝一、栂野真弓。浅井忍。上田朱美。浜田ミラ。井上リナ。それらの人物毎に、たとえば十二月二十四日の午前零時から翌二十五日の午前零時までの一時間毎の居場所を、ダイヤグラムのような表にする。これを、一日毎に作成する。列車のダイヤグラムの駅に相当するのは、栂野邸、各々の学校、各々の勤め先、吉祥寺の予備校、吉祥寺や武蔵小金井のゲームセンター、吉祥寺のカラオケ店、小金井東町の路上、白糸台ゴルフセンター、そして野川公園などだ。
すると、たとえば十二月二十四日、栂野家の四人の列車線は午前六時まではいずれも起点駅である栂野邸にある。午前六時に節子が家を出て野川公園に向かったのを皮切りに、午前八時に孝一、節子がそれぞれゴルフセンター、桜町病院へと出てゆく。
(徹頭徹尾ディテールの積み重ね)
もし、栂野真弓と上田朱美がふつうの仲良しではなかったとしたら---。
保存されているのは六百三十枚。すべて忍が撮ったものだ。
捜査責任者として事件現場周辺の不審者浅井忍の身辺を徹底的に洗わなかった失態が、十二年の月日を経てあらわになった格好だった。
(マルティン・ベック?)
そうして日々更新されてゆくSNSを適当にフォローしていると、
最近はSNSでつながってくる友人知人の全部に苛立ち、気分が重くなる。親しい者もそれほど親しくない者も、誰もが呼んでいないのに呼び鈴を押し、尋ねてもいないのに話しかけてくる。
被害者の近いところにいる人間による突発的な暴力を想像した
あの直感はいまも揺らいではいないし、
ところであの終業式の日、上田朱美さんが栂野先生から手紙で呼び出されていたのを思い出しました。上田さんは事件前、先生に会いに行ったのでしょうか。
とまれ浅井忍の写真が、こうして栂野節子が事件直前に上田朱美を手紙で呼び出していたという、事件の重大なピースの発見につながったのは合田にとってまさに衝撃であった。しかし、それ以上に、この少年少女たちの日常と非日常を分けることになった事件の無慈悲さにあらためて胸が締めつけられたのは、年齢のせいだけでもなかっただろう。
 それにしても、合田とのつき合いも随分と長くなった。初めは『マークスの山』だっただろうか。もう25年にもなろう。『照柿』『レディ・ジョーカー』などと続くその全部を好んで読んできた。本書は7年ぶりとなる6作目だが、著者も合田には思い入れもあるようだし、合田の定年にはまだ3年もあるようだし、もう1作は読めるだろうか。
(毎日新聞出版刊)