ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

京急大師線

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(写真1 京急川崎駅3番線ホームで発車を待つ京急大師線小島新田行き列車)

京浜間湾岸の小路線②

 京急大師線は、京急川崎駅と小島新田駅を結ぶ全線4.5キロの短い路線。駅数は7。多摩川沿いに東京湾に向けて西から東へ伸びる路線である。
 そもそもは、川崎大師への参詣者向けに開設した路線で、1899年(明治32)の開業は京浜急行としては最も古く、京急のルーツ路線だということである。また、大師線で採用された京急の軌間1435ミリは標準軌として日本で最初の鉄道であり、さらに、電車による営業運転は関東で初めてのものといい、小さな路線ながらなかなか歴史的にも由緒あるもの。
 京急川崎駅。本線は高架ホームからの発着だが、大師線は地上ホーム。1-3番線が大師線専用で、2番線は降車専用。乗ったのは12時44分3番線から発車の列車。4両編成。
 発車すると、港町、鈴木町と続き、三つ目が川崎大師。平日の日中だったのだが、川崎を出た段階ではほぼ満席。それが大師では大半が下車した。
 路線は国道409号(通称大師道)と並行しており、多摩川にも沿っているはずだが、川は車窓には見えなかった。

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(写真2 小島新田駅)

 東門前から地下に潜り、産業道路といういかにも川崎らしい名の駅は地下駅で、再び地上に出たら終点小島新田だった。
 近年地下化の工事が進められていて、産業道路駅前後が地下化されたことにより、5つの踏切が解消されたということである。産業道路は川崎の海岸沿いの工場地帯を貫く大幹線であり、踏切が解消されたことによって悪評高い渋滞も解消されたに違いない。まだ、環境への配慮も薄かった時代、産業道路を走っていると、排煙で息苦しかったものだった。

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(写真3 小島新田駅前に広がる貨物ターミナル.。手前が東海道線貨物線

 小島新田駅は1面2線のホームがあるだけの小さな駅舎。眼前が貨物ターミナルで、おびただしいほどの留置線側線が配線された大操車場となっていた。また、この中を東海道本線の貨物線が抜けている。
 このあたりは大工場が数多く立地されていて、こうしてみると、大師線は、当初は川崎大師への参詣路線だったのだろうが、その後、通勤需要が高まり、さらに大工場が移転する傾向になって、跡地には高層マンションが次々と建ち並んできていて、大師線の乗客層には大きな変化が出てきているようだ。
 なお、帰途は、川崎大師駅で下車しお参りをした。駅から参道を約5分、さらに仲見世を抜けると山門、本堂と続く。真言宗智山派の大本山で、平間寺(へいけんじ)というのが正式の名称。大変寺域が広く、立派な堂宇が並んでいる。正月三が日には全国有数の参詣客でにぎわう。また、仲見世の通りではたんきり飴をたたく独特の調子を取った音が風情を高めているものだが、この日は平日の日中だったせいか、その音は聞こえてこなかった。

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(写真4 川崎大師の本堂)