ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

北総台地を走る新京成電鉄

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(写真1 カーブの多い新京成線。これは新鎌ケ谷を出てほぼ直角に曲がっているところ)

千葉の鉄道①

 新京成電鉄は、松戸駅と京成津田沼駅を結ぶ。全線千葉県内を走っている。松戸で常磐線と接続し、終点一つ手前の新津田沼駅で総武線津田沼駅に隣接する。地図で見ると東京の東側外環を半周しているように見える。路線距離26.5キロ、駅数は24。関東地方では唯一の準大手私鉄である。
 歴史的には変わったいきさつを持っていて、この路線の大半は、旧陸軍の鉄道連隊が演習用に敷設した軌道。鉄道連隊演習線松戸線と呼ばれていたらしいが、第二次世界大戦後に京成電鉄へ払い下げられ、新京成電鉄の設立を経て今日に至っている。運転にあたっては軌道敷きの整備が行われた。

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(写真2 松戸駅7番線で発車を待つ新京成線京成津田沼行き電車。右はJR線ホーム)

 これまで乗っていては見えてこないものが見えてくるかと思い、この新京成線をつたい歩きしてきたが、乗って見えてくる風景はどうなのか、改めて乗りに出かけた。つたい歩きと期日が前後するところもあったが、2018年の暮れも押し詰まる12月29日、新京成線松戸駅。島式1面2線のホーム。JRからの通しホーム番号で7番線から8時50分の発車。京成津田沼行き。次発が京成千葉線千葉中央行きだった。6両編成。ピンク色を施した車体が美しい。
 松戸を出るとすぐに右にカーブしていった。平地を走っている。全て各駅停車の普通列車で頻繁に停まる。駅間距離が短いようだ。八柱でJR武蔵野線の新八柱駅と接続。クロスしているのだが、おそらく新京成駅が先に出来たのであろう。細かいことだが、新京成は〝やばしら〟と言うのに対し、JRは〝しん・やはしら〟と濁らない。
 駅間距離が短いのにスピード感がある。線形が良くなると一気に速度を上げているようだ。ゲージが1435ミリと広く標準軌なことも有利だ。
 常盤平、五香と美しい街路の街を通り、左に陸自松戸駐屯地の広大な敷地を過ぎてくぬぎ山。乗務員が交代した。新京成電鉄の本社があるところで、車両基地もここにあった。
 沿線には果樹園が多い。北総線の高架をくぐりそのまま北初富から新鎌ケ谷へと並走した。北初富からは高架化工事の最中のようで、下り線ホームのみすでに高架となっていた。
 新鎌ヶ谷駅は北総線(成田スカイアクセス線)や東武野田線と接続。直角に線路が交わっている。
 新鎌ケ谷を出るとほぼ直角に右に曲がった。カーブの多いのが新京成線の特徴だが、何でも、これは鉄道連隊の演習用にこうなっているとどこかで聞いた記憶がある。真偽を確かめてはいないが。
 そう言えば、この路線は河川を渡る橋がどこにもない。北総台地という地理的条件なのだろうが、そうなると、架橋などという訓練ができないことになり、鉄道連隊の演習に不都合はなかったのだろうか。
 新鎌ケ谷を出ると東武線が右に離れていったが、その先遠く快晴の空に富士山がくっきりと見えた。続いて鎌ヶ谷大仏。駅のそばに墓地があって、そこに大仏が鎮座している。
 やがて高根公団。続いて北習志野で東葉高速鉄道と接続する。このあたり一体は旧陸軍の習志野演習場があったあたりで、習志野、薬園台と進むにつれて乗客が増えてきた。
 そうか、今になって気がついた。松戸と習志野、路線の両端に陸軍の駐屯地があったことと、鉄道連隊の演習線が設けられたことは無関係ではないのかも知れない。
 そうこうして新津田沼、9時31分。JR津田沼駅への最寄り駅であり、乗客の大半が下車した。列車はそのまま進み、JR線を跨いで終点京成津田沼到着9時33分。松戸から43分だった。なお、この新津田沼-京成津田沼間だけは単線になっている。京成線との接続駅である。
 そもそも、新京成線は当初は新津田沼駅が終点だったところ。それを京成線と接続できる京成津田沼まで延伸させたのである。ただ、このために随分と無理をしたようで、新津田沼を出ると電車は右に左にとカーブしているし、複線にすることもかなわなかったらしい。
  平日の日中なのに電車の本数が多い。駅間距離が短い分、乗降客も頻繁に代わる。朝夕はもちろん通勤通学客であろうが、日中も生活路線として沿線住民の支持を得ているようだ。車両もきれいで整備も行き届いているようだし、データを見ているわけではないが営業成績もいいのではないか、そのように思われた路線だった。

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(写真3 京成津田沼駅。左が新京成線電車。右が京成線電車)