ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

ベルンハルト・シュリンク『階段を下りる女』

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不思議な味わい深い魅力

 傑作『朗読者』の著者による近作。またまた魅力的な作品を手に取ることができた。
 フランクフルトの弁護士である語り部の「ぼく」は出張先のシドニーで、業務を終えてふと入ったアートギャラリーで1枚の絵と出会う。
 絵には「階段を下りる女」という名札が付いていて、全裸の若い女性が階段を下りてくる様子が描かれていた。
  実は、ぼくはこの絵には若いころの苦い思い出があり、その後この絵は長いこと行方不明になっていて、40年ぶりの再会だった。
 まだ駆け出しの弁護士だったころ、この絵の作者カール・シュヴィントが絵のモデルとなったイレーネを伴ってやってきた。自分の絵のポートフォリオを作製しているのだが、この絵の持ち主だけが写真を撮らせてくれないというのだった。
 持ち主のグントラッハに連絡すると、写真を撮らせないというのは誤解で、画家は家に立ち寄って撮影しても構わないという返事。
 その旨シュヴィントに伝えると、翌週再びやってきて、絵の右足の部分がライターで焼いたみたいになっていた、そこで修復を申し出たが、修復は必要ないと拒否されたとのこと。
 実は、イレーネはグントラッハの妻だったのだが、その後もやりとりがつづき、ついに、イレーネをグントラッハの元へ返し、絵はシュヴィントが引き取ることで合意する。
 この間、イレーネと会っているうちにぼくはイレーネに恋をしてしまう。「彼女はぼくの頭から消えなかった-足を組み、スリムなジーンズとぴったりしたトップスを身につけ、明るい色の目とくぐもった笑い声で、落ち着きはらって、挑戦的で、相手を混乱させる。向かい合って座っていたときから、ぼくはすでに混乱していた。翌日グントラッハの家に行って例の絵を見たときには、完璧に混乱した」のだった。
 イレーネと絵との交換が行われようとした際、イレーネとぼくは一計を案じて絵を持ち去ることにした。計画は成功し、絵を積んだトラックを運転しているイレーネとぼくは落ち合う手はずとなっていたが、イレーネは約束の場所に現れなかった。
 あれから40年。ぼくは成功した弁護士になっていて、出張先のシドニーであの絵に出会ったのだった。すぐさま、探偵事務所に誰があの絵をギャラリーに持ち込んだのか、イレーネ・グントラッハというのであれば、どこに住んでいるのか、調査するよう依頼したのだった。
 帰国の予定は過ぎていたのだが、ぼくはすべての予定を変更しシドニーに残っていた。探偵事務所からの報告によると、絵を持ち込んだのは、現在は旧姓のイレーネ・アードラーだとのこと。また、イレーネはシドニー北部の海岸に住んでいるのだとも。もう20年もオーストラリアに住んでいるらしい。
 ぼくはレンタカーを手配して北部の町を目指した……ここまでが第1部。あらすじをこう書くと単純そうなストーリーに思えるが、事実、簡単ではあるのだが、ストーリーがみずみずしいし、ぼくのナイーブさに惹き込まれてゆく。
 探していくと、イレーネは島に住んでいることがわかり、ぼくはついにイレーネと再会する。「額や頬に刻まれたたくさんの皺、重そうなまぶた、色褪せた肌に薄くなった髪も目に入った。イレーネは年をとっていた。」
 島ではイレーネの家に寝泊まりする生活が続いた。フランクフルトの弁護士事務所に連絡する必要はあったのだが……。2週間も暮らしてイレーネとは少し親近感のようなものが生まれていた。来し方を振り返りながら、たくさんの事柄について話した。イレーネとぼくの間には価値観について隔たりは残ってはいたのだが―—。一つひとつの意味を吟味しながら読んでいくと、とても時間がかかって滑らかさには欠けたがとても味わい深いものだった。
  そして、ラストシーンは、私は私自身では随分と読み達者のつもりだったが、その私の想定を超えるものだった。松永美穂訳。
(新潮クレスト・ブックス)