ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

ジョン・ハート『終わりなき道』

f:id:shashosha70:20180810163948j:plain

評価が分かれる大作

 誤解を恐れずに書けば、これは心温まる物語である。ただし、誤解されないために書き加えれば、暴力シーンの連続で、殺された人間が20人近くにもなる。
 1ページ2段組のポケミスで600ページ近い長編で、大作ではあるがこれを途中で投げださずに終わりまで読み切るにはかなりの忍耐力がいるのではないか。
 つまり、ミステリーだが、謎解きがわかりにくいのである。主人公もふらふらしていて事件を見通せないようだし、細かなエピソードをこねたような団子の数は多いのだが、肝心の串がはっきりしていなくて、読み進むには滑らかさを欠いた。
 刑事エリザベスは、少女チャニングを犯そうとしていた男二人を射殺する。しかし、男二人には18発も撃ち込んでいた。少女救出に対する評価がある一方で、なぜ18発も撃たなくてはならなかったのか謎となり、謹慎を命じられていた。新聞やテレビは「英雄か、それとも死の天使か?」などと報じていた。
 一方、時を同じくして、殺人の罪で服役中だったエイドリアンが仮釈放された。エイドリアンは元警察官で、エリザベスが尊敬する刑事だった。
 エイドリアンは、夫と息子のいる妻を殺害した罪で有罪判決を受け、13年間服役していたのだったが、エリザベスにはエイドリアンが殺人を犯すなどと信じられず、動機を含めて真実は隠されていると考えていた。
 この二つのストーリーが二本の串となって物語は進む。
 途中で、1本目の串については、なぜエリザベスが18発も撃ち込んだのかその理由が明らかとなり、このことが伏線となってラストシーンで大きな意味を持つこととなる。
 2本目の串については、エイドリアンが服役していた刑務所の所長と看守の動きが不気味。警官が収監されたことで陰湿ないじめのあることは想像に難くないが、釈放後の一般社会においても、所長らはエイドリアンを追い詰めていく。釈放された者に対し執拗に攻撃を続けるその理由は何か、収監中のことならともかく、所長らに塀の外で仮釈放者を攻撃する権限はあるのか、日本ではおよそ考えられないことだし、舞台となっているノース・カロライナ州の法律がどうなっているのかの説明もないからわかりにくい。まるで権力を持った無差別殺人鬼集団のごとき行動だから震撼とさせられる。看守が警察の向こうを張って独自の動きをするということ自体は珍しい設定ではあるが。
 やがて2本の串が1本に束ねられて物語は収斂されていく。
 実は、ラストシーンを前に、作者はどのような結末を用意しているのか、そのことを思い描きながら読んでいくと、用意されたラストシーンに対する評価は、読者によって別れるのではないか。
 一つには、意外などんでん返しだったと感心をするのか、二つには、何と甘ったるいハッピーエンドだったことよと嘆息するのか、ちょっとあっけなかったとはいわざるを得ない。
 いずれにしても、私は先に読んだ『ラスト・チャイルド』に引っ張られて2年近く前に購入はしていたのだが、なかなか読み出す機会がなくてぐずぐずいしていたし、結局は私はこの長編を読み通したのだから面白くなかったとは言わないが、『ラスト・チャイルド』ほどのずしりとした手応えではなかった。東野さやか訳。
(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)