ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

紀伊大島に建つ樫野埼灯台

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(写真1 太くずんぐりした樫野埼灯台。回廊に登る外階段が付いている)

紀伊半島岬と灯台巡り③樫野埼灯台

 潮岬灯台からは樫野埼灯台に回った。潮岬(しおのみさき)は串本から地続きなっているが、樫野埼(かしのさき)は対岸の紀伊大島にあり、かつては、♪ここは串本向かいは大島仲をとりもつ巡航船…と串本節でも唄われたが、現在はくしもと大橋が完成し、潮岬からぐっと近くなった。
 樫野埼は、大島の東端にあり、串本駅からのバスは途中寄り道が多いから所要40分ほど。終点は、南国のリゾート地の様相を見せる園地になっていて、灯台までは徒歩10分ほど。
 灯台は、白堊の塔形なのだが、太くずんぐりしている。塔高は約15メートルとさほど高くはない。4層になっていて面白い形だ。潮岬灯台同様にやはりブラントンの設計で、石造としては日本初。石材は対岸の古座川周辺からの産出のもの。1870年(明治3年)6月10日の初点。現在に至るもそのまま現役という希少価値がある。また、ここも江戸条約によって建設を約束したいわゆる条約灯台8つのうちの一つ。
 灯台内部を参観することはできないが、外階段が付設されていて回廊に登ることができるようになっている。この構造は独特で面白いしありがたい。
 灯台は、40メートルほどの海蝕崖による断崖に建っていて、眼前は、熊野灘と太平洋を分かつ大海原で、岩礁が散っている。沖合は海の難所で、遭難海岸と呼ばれ恐れられたようで、早くから灯台の必要性が高かったものであろう。ただし、右手に目を向けても潮岬は見えない。
 また、回廊からは灯台上部の灯室を間近に見ることができるのが楽しい。第2等フレネルレンズだという。回転式閃光レンズとしても日本初のものらしい。

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(写真2 手前が旧官舎。船舶からも見えるように当時から外壁は白く塗られていたという)

 敷地内には、旧官舎も整備され見学できるようになっていた。この官舎も石造りで、しかもブラントンの設計のまま残る登録有形文化財となっていた。案内の方がいらして、その説明によると、ブラントンが設計の図面を引いたという部屋があったし、いかにも洋風の石造建造物らしく、とても天井の高いものだった。
 一方、ここの沖合では1890年にトルコ軍艦エルトゥールル号の遭難事件があって、島民の献身的な救助活動によって69名の乗り組み人の命を救ったという。救助された乗組員は一時的に灯台官舎に保護されたという。
 こういういきさつがあって、日本とトルコとの友好関係が深まる始まりとなっていて、灯台周辺には、、トルコ建国の父であるアタテュルクの騎馬像やトルコ軍艦遭難慰霊碑などが建っている。
 それにしても、潮岬灯台といい、樫野埼灯台といい、これほど近い位置において明治初期になぜに二つもの洋式灯台を建てたものか。それも江戸条約で建設を約した8つのうちの二つが串本にあるというのも興味深い。
 地図で見ると、樫野埼灯台は東に向いており、潮岬灯台は西に向いている。東京から海路直線距離で300キロほどか、二つの大型灯台が続くほどに周辺は岩礁が多く、遭難の危険がたびたびあったものであろうか。
 ところで、帰途、紀勢本線から車窓を見ていると、串本を出てほどなく奇岩が列柱のように並んでいるのが見えた。橋杭岩と呼ばれるもので、陸地から大島まで続いているということである。

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(写真3 岬の付け根にあたる海金剛と呼ばれる景勝地から遠望した樫野埼灯台)

<樫野埼灯台メモ>(海上保安庁/燈光会が設置した看板等から引用)
 所在地/和歌山県和歌山県東牟婁郡串本町樫野
 位置/北緯33度28分18秒、東経135度51分43秒
 塗色及び構造/白色、塔形、石造
 レンズ/第2等フレネル式
 灯質/群閃白光 毎20秒に2閃光
 光度/44万カンデラ
 光達距離/18.5海里(約34キロメートル)
 高さ/地上から灯台頂部 約15メートル、水面から灯火 約47メートル
 管轄/海上保安庁第五管区海上保安本部田辺海上保安部