ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

陸中黒埼灯台

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(写真1 朝日に染まる陸中黒埼灯台の美しいシルエット)
日本の灯台50選
 陸中黒埼灯台を訪ねた。岩手県下閉伊郡普代村所在。陸中海岸の北東部に位置し、三陸復興国立公園に属し、太平洋に面する。
 黒崎へは、宮古から三陸鉄道北リアス線で北上した。4月18日、宮古15時10分発久慈行きに乗車、普代16時08分着。宮古駅からは44.9キロ、約1時間の乗車だった。降り立った普代駅は新築されたばかりの駅舎のようで、普代村が受託管理しており、売店のほか普代村のコミュニティセンターも併設されていた。
 この日は灯台が近い普代村営の国民宿舎「くろさき荘」に泊まることにしているが、生憎村営バスとの連絡が悪く、宿舎から迎えに来てもらった。たった一人のためには申し訳ないことだったが、駅から7キロあり、歩くのはちょっと辛いということだったので大変ありがたいことだった。
  宿舎にチェックインし、すでに夕刻だったがすぐに灯台を見学しに出かけた。小降りだが生憎と雨が降っている。
 なるほど近い。まるで宿舎の敷地内というほどだ。灯台に降りる園地に地球儀をかたどったモニュメントがあった。近づくと地球儀が回転した。北緯40度線を示すもので、座標は灯台の位置で北緯40度00分25秒、東経141度56分08秒である。北緯40度は、日本海側の秋田県の男鹿半島入道崎と対をなす。また、アメリカのフィラデルフィアなどもこの線上である。

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(写真2 白亜の円塔形が美しい灯台の全景)
 モニュメントから少し階段を降りたところに灯台があった。建物の上に円形の白亜の灯塔がのっている構造で、塔高は11.95メートルというから必ずしも高いというほどではないがとても形がいい。灯台の周囲には樹木が茂っているが、階段の途中からの眺めがとてもよく美しい灯台だ。日本の灯台50選に選ばれている。
 灯台は130メートルというとても高い断崖にあって、灯火標高が142.85メートルもある。この周辺の海岸線は海岸段丘の連続で、凄まじいまでの断崖になっている。左右に伸びている海岸線はリアス式海岸で、右手側つまり南隣は景勝地北山崎である。ここ黒崎もそうだが、このあたりの海岸線は海上から眺めるといかにもリアス式の海岸が続いていて迫力がある。
 そうこうするうちに灯台に光が点りだした。17時10分だった。まだ暗くはなっていなかったが、この日は雨模様だったから日没を待たずして点灯したものであろう。
 白色の閃光で、毎5秒1閃光というほどに回転が速い。LB-H40型灯器というのだそうで、実効光度が31万カンデラ、光達距離は29.5海里(約55キロ)である。実効光度に比べ光達距離が長いのは灯火標高が高いせいであろう。
 いつまでも飽かず眺めていたいところだが、いったん宿舎に引き揚げた。村営の国民宿舎だが、なかなか立派なホテルだ。おもてなしがいいし、1泊2食の食事も申し分ないし、風呂が大きくて湯の熱いのは気に入った。風呂にだけ入りに来ている人たちもいたが人気なのであろう。そして、何よりも気に入ったのは部屋から灯台が見えたことだった。
 灯台のそばでは必ずしも見晴らしがよくなかったが、ホテルからは黒崎の男性的景観がよくわかったし、夕景に点った灯台の光がとても幻想的に見えた。

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(写真3 闇を切り裂く灯台の灯り)
 食事を終えてまた灯台を見に行った。雨が本降りになっていた。しかし、雨が降っていることによって、かえって光跡がはっきりしている。灯光が暗闇を切り裂いている。海上に目を向けたが、船舶の灯りは一つも見えなかった。海上から見れば、灯台の灯りは白一色の回転灯くらいの早さで輝いているように見えているのではないか。
 翌日は快晴だった。夜が明けて白白としてきているうちに灯台を見たら、灯台はまだ光を放っていた。
 4時20分頃、朝日が昇り始めた。東の空、太平洋の水平線が橙色に染まりだした。大きな太陽だ。灯台の灯りもまだ消えていない。朝日を浴びた灯台のシルエットが実に美しい。
 明るくなって改めて灯台を観察したところ、回転灯器がぐるぐると回っている。後ろに遮蔽板があって、これによって閃光しているのであろう。レンズの形式からして直径40センチの灯器ということだろうか。
 灯台のそばに燈光会が立てた解説板があって、かすれてやや読みにくかったが、光達距離は29.5海里(約55キロメートル)と読めた。随分と長いのである。
 また、銘板によると、初点が昭和27年7月で、昭和50年3月改築とあった。面白いのはこの灯台の歴史で、地元の黒崎漁業協同組合が昭和22年9月に組合員のために「普代灯柱」を設置したのが始まりで、その後海上保安庁に移管され、昭和27年7月1日に完成したとあった。

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(写真4 灯台の直ぐそばに建つ普代村営の国民宿舎「くろさき荘」)