ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

全面復旧の山田線盛岡-宮古間

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(写真1 宮古を出るとしばらくは山田線に並行して閉伊川と国道106号線が寄り添う)
カラス列車も今は昔
 宮古からはJR山田線で盛岡に出た。
 山田線は、盛岡を起点に宮古を経て釜石に至る営業区間157.5キロの長い路線。盛岡-宮古間は山岳路線であり、宮古-釜石間は海岸区間である。
 甚大な被害となった東日本大震災からの復旧工事が急ピッチで進められている宮古-釜石間は来年2019年3月の復旧を目指しており、開通後は三陸鉄道への移管が決定している。
 一方、盛岡-宮古間も、台風被害などの影響により全線での営業が不通となっていたが、昨2017年11月に全線で復旧となり営業を再開していた。
 宮古9時25分発快速リアス盛岡行き。2両のディーゼル列車、車掌が乗務している。乗客はまばらで、1両に10人に満たない。
 1番線からの発車。宮古を出るとしばらく閉伊川と国道106号線が並行している。宮古駅に近い鉄橋は第33閉伊川鉄橋といったから、この先33回も閉伊川を渡るのだろう。実際、閉伊川は左窓から右窓へとしばしば変わった。鉄道と川は友だちで、鉄路はできるだけ川に沿って走りたいが、沿えなくなるとトンネルで抜けたり橋で渡ったりする。
 山田線は北上高地を越えていくのだが、トンネルが非常に多くて、40ほどもあったのではなかったか。かつて蒸気機関車に牽引されていた時代には、あまりにトンネルが続くものだから窓の開け閉めが面倒になり、開け放った窓から煤が舞い込んで顔が黒くなるのでカラス列車の異名をもらっていた時代もあった。現在はディーゼルだし、エアコンもあるから窓を開ける必要もなく、トンネルも気にならない。
  沿線は桜が満開で、例年よりは早いようだが、遅かった岩手にも春の息吹が感じられた。桜と一緒に咲いている白い花はコブシだろうか。あるいはヤマザクラか。
 茂市9時41分。かつてはここから岩泉線が分岐していたが廃線となってしまった。山塊がいよいよ大きくなってきた。盛岡-宮古間は営業距離は102.1キロと100キロを超すがその大半が山間を走っている。それも高さは数百メートルもありそうで、途中、陸中川井のあたりなど夏でも午後3時には太陽が隠れるというほどの深い山峡である。
 平津戸を出ると松草へ、さらに区界へと25‰の急登坂が続く。ディーゼルはうなりっぱなしだ。

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写真2 まだ早春の様相だが白樺が美しい高原の区界。東北地方鉄道最高地点だ)
 区界(くざかい)10時48分。標高744メートルあり、北上高地の分水嶺であり、東北地方における鉄道最高地点である。岩神山の山裾が美しく、夏になると高原気分が味わえ、ハイキングやキャンプに人気の地点である。まだ早春の様相だが白樺の樹林がいよいよ高原気分を味わわせてくれる。また、振り向くと残雪をいただいた早池峰山1917メートルが白く輝いていた。
 区界を出ると長い下りになった。この先、2016年に廃駅となった浅岸、大志田と続くがどうなっているものか。車掌さんにその様子を尋ねたところ、近づいたら教えてくれるというのでカメラを構えていたが、駅の名残は少なく、笹に飲み込まれたようで、かろうじて線路の跡が見え隠れしただけだった。
 かつては二駅続けてのスイッチバック駅だったから鉄道ファンには人気で、その後は秘境駅として知る人ぞ知るような駅だったが、現在は廃線跡派でも訪ねてくることはまれではないかと思われた。

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(写真3 北上川と岩手山。美しい車窓風景)
 そうこうして上盛岡駅を出て東北本線と合流する直前に北上川を渡った。橋上から見る岩手山が美しかった。私は盛岡の高校を出ており、母校の校歌に、秀麗高き岩手山 清流長き北上や とあって実に懐かしいものだった。盛岡11時34分着。その盛岡はちょうど桜の開花宣言が発せられたところだった。

(参考=下の写真は、かつての浅岸駅(上)とスイッチバックの遺構が見える大志田駅(下)。いずれも2014年8月18日撮影)

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