ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

天竜浜名湖鉄道

f:id:shashosha70:20180122142951j:plain

(写真1 JR新所原駅連絡通路上から見た天竜浜名湖鉄道新所原駅)
浜名湖畔と天竜川
 豊橋からは、天竜浜名湖鉄道に乗ってさらに東へと進んだ。
 天竜浜名湖鉄道とは、豊橋から東海道本線で二つ目、新所原(しんじょはら)から浜名湖の北岸を走り、天竜川を渡り、再び東海道本線に合流し掛川へと至る路線。旧国鉄の特定地方交通線であった二俣線を引き継いだ第三セクター鉄道で、全線67.7キロ。なお、路線名としては天浜線と呼ばれている。
 新所原駅。JR駅の片隅に小さなホーム。鰻重の売店があったが、まだ時間が早かったせいか、営業していなかった。10時19分の発車。1両のディーゼルワンマン運転。1ボックスに1組の乗客。

f:id:shashosha70:20180122143046j:plain

(写真2 右窓に見えた浜名湖)
 新所原から二つ目、知波田を過ぎて右窓に浜名湖が見えてきた。高原が尽きた丘陵地帯を列車は走っていて、浜名湖畔の狭い盆地を抜けて行く。三ヶ日で6分停車。蜜柑の産地として知られる。東都筑で東名高速道路をくぐった。寸座で対岸に舘山寺が見えた。有名な温泉地である。気賀に至って浜名湖から離れたようだ。
 金指で6分停車。この列車には、2時間を越す路線区間を走っているのにトイレが付いていない。だから、この長い停車時間を利用して用をたせということだろうか。もっとも、起終点を通しで乗っているような退屈な乗客はほかに見当たらないようではあるが。
 西鹿島。遠州鉄道との接続駅である。二俣本町、天竜二俣と続く。天竜二俣駅は車両基地になっているらしく、多数の車両が留置されていた。また、転車台もあるようだったが、定かではない。天竜川を渡った。初めてこの路線に乗った折には、この天竜二俣駅で途中下車し、駅前の鰻屋で昼食を取った記憶がある。もう20年にもなるか、あの頃でさえ、鰻の産地でさえ鰻は高かった。
 このあたり、天竜川による肥沃な大地のようで、耕作地が広がっている。天竜川の右岸を三方原、左岸は磐田原と呼ぶようだ。
 茶畑も出てきた。遠州森駅では、ホームに遠州の小京都の案内看板が出ていた。講談や浪花節では次郎長一家の侠客森の石松の出身地となっていたが。
 ここまで細かく乗降はある。列車本数も日中でも1時間に1本程度もある。まずまずの利用者である。
 そうこうして終点掛川12時29分着。新所原から2時間10分だったから、表定速度は34キロに満たないということになり、車窓を楽しむには十分な路線だった。

f:id:shashosha70:20180122143136j:plain

(写真3 天竜川。大河である)