ABABA’s ノート

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伊東潤『幕末雄藩列伝』

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講談のごとき面白さ
 講談のごとき面白さである。かといって、著者は講釈師ではないし小説家であって、史実を調べ裏付けを取っているようで、読んでリアリティは十分だ。それも、藩に焦点をあてて書いているのが特徴で、藩としての動向に力点が置かれている。
  取り上げられているのは14藩。雄藩とタイトルが付けられているように、薩摩藩や水戸藩、会津藩などと大藩が多いが、1万石程度のあまり名も知られていない藩も出てくるし、歴史上脚光をこれまで浴びたこともなさそうな藩もある。
 その評価も功罪なかなか厳しくて、例えば彦根藩など「先祖の名誉を踏みにじった幕末最大の裏切り者」と辛辣だし、仙台藩については、東北を戦渦に巻き込んでしまった「眠れる獅子」、と断じているし、加賀藩にしても、一方の道を閉ざしてしまったことで墓穴を掘った大藩、とばっさり。
 請西藩が興味深い。請西藩(じょうざいはん)とは、現在の千葉県木更津市にあった1万石の小藩。当主林家は、家康から遡ること8代の松平家の頃からの家臣で、林家当主は正月には諸侯に先駆けて時の将軍から盃を受けるという習慣が定着していたという。
 言わば大変な栄誉であり、大恩ある徳川将軍家ということになるが、「徳川家と重代相思の間柄にある大名たちの多くが早々に白旗を掲げ、薩長の新政府に頭を垂れる中、わずか1万石ぎりぎりの大名が、徳川家への忠節を誓い、まさに一寸の虫にも五分の魂を実践した」という。
 特に最後の藩主である林忠崇は、一命をなげうち粉骨砕身徳川家のために各地で転戦している。藩論では、新政府軍への恭順を説くものが多いと見るや、何と藩主自らが脱藩してまで新政府軍と戦っている。
 その後、紆余曲折はあったが、「結局、三百余藩の中で、明治新政府によって取り潰しの「栄誉」に与ったのは、請西藩だけだった」とし、忠崇は94歳の天寿を全うし最後の大名となったのだった。
(角川新書)