ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

正木香子『文字と楽園』

f:id:shashosha70:20171221201519j:plain

精興社書体で味わう現代文学
 面白い。しかし、書体について探求したものでありかなり専門的ではある。
 それも、楷書とか草書とか毛筆の書体のことではなく、また、明朝体やゴシック体といった一般の活字書体について書かれたものでもなく、ただただ「精興社書体」の文字について書いた本である。
 そもそも精興社書体とは、精興社という印刷所が独自に開発した印刷用文字のこと。大方の印刷所では、モリサワなどと一般に普及している書体を用いているもので、独自の書体を持っている印刷所は日本に数社しかないといわれている。秀英明朝体の大日本印刷や凸版文久体の凸版印刷がわずかな例である。
 つまり、かなり特殊な事情ということになるが、本書ではこの精興社書体の生い立ちや出版社との関わりを手始めに、精興社書体で印刷された文学作品を引き出して、作品と精興社書体との関わりから精興社書体の魅力などについて詳説している。
 著者自体が書体に対する取り組みはかなり深いようで、とりわけ精興社書体に対する惚れ込みようは尋常ではないほどだ。
 何しろ、荒川洋治『忘れられる過去』のくだりでは、「でも、「本文」の書体で選ぶ本というものがたしかにあるのだ」とまで書いている。
 私も本は好きで随分と買う方だろうが、書店で本を手に取ると、まずは初めの数ページを読み、目次をチェックし、そして必ず奥付を見る。どこの印刷所か気になるせいでもあるが、だからといって、この書体が気に入らないから、この印刷所は好きだからといって本を選ぶことはない。ただ、ページいっぱいに組んであったり、目に強い書体で印刷されてある場合には躊躇がないわけではないが、結局は中身で選ぶ。本好きではあるがコレクターではないので。私も精興社書体は好きだし、精興社という印刷所の仕事は信頼しているし、まあ、奥付に印刷所精興社とあればうれしくはなる。
 川上弘美『センセイの鞄』では、「川上弘美は精興社書体がよく似合う作家だ」と書いている。しかも精興社系とまで書いているほどだ。
 それにしても、精興社書体とはどういう書体であろうか。本書そのものが、精興社書体で組まれ印刷された本である。
 では、精興社書体とはどういう特徴を持っているのだろうか。精興社書体そのものは楷書の明朝体の書体だが、そのことについてストンとわかるような記述は実は本書には出てこない。
 それで僭越ながら、私が読んできた、知っている精興社書体ということで印象をまとめると、平仮名が流麗で、やや小ぶりである。漢字では特にそうだが、縦がやや太く、横は細いというのが特徴だ。全般に押しつけがましさがなく、自己主張をしないというようなことも言えるかも知れない。このことは、印刷業界、出版業界の認識ともそう違わないのではないか。
 だから、小説など文芸ものには向いている。反面、メリハリが利き訴える力が強いほど好まれる社会科学系や理工系の本には向かない。つまりやさしいのである。私も精興社書体で組まれ印刷された本は、とても穏やかにページをくくれるように思う。
 また、出版業界に身を置いてきた経験で少々蛇足を付け加えると、精興社書体は精興社自身のものだから、どこの印刷所でも使えるというものではさらさらなく、精興社書体で印刷したいならば精興社に印刷を発注する必要がある。
 出版社が書体で印刷所を選ぶことはままあるようで、その代表例は新潮クレストブックスだろう。本書でもそのくだりが紹介されていたが、装幀から造本、書体に至るまで実に魅力的なシリーズとなっており、内容的にも上質のシリーズなのだが、本全体のもたらす雰囲気が読書を豊かにしてくれている希有な例ではないか。
 いつかどこかで耳にしたことがあるが、独自の書体を開発しようとすれば、莫大な費用と膨大な時間を要する。1書体1ウエイト(書体の太さ)だけでも億単位だそうである。しかも、一流の印刷所ともなれば2万~3万もの文字を揃えなければならない。1字1字について母型を作っていく労力は並大抵のことではない。
 くどくなるが、だからと言うべきか、大日本や凸版のような超大手はともかく、精興社クラスの印刷所が独自の書体を持っていることはほとんど奇跡に近いのではないか。
 もっとも、本書でも紹介していたが、精興社書体に惚れ込んで岩波文庫が精興社を重用したし、司馬遼太郎は精興社を好んだ。けだし、100年の歴史が培ってきた財産であろう。
(本の雑誌社刊)