ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『甘き人生』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)
「よい夢を マッシモ」
 1969年トリノ。仲のいい親子。しかし、若い母は「よい夢を マッシモ」という言葉を残して急死してしまう。少年は母の死を受け入れられず、幻影にさいなまされる。
 1992年ローマ。成長して敏腕の新聞記者となったマッシモ。1993年に火を噴いたボスニア紛争の取材でサラエボへ。しかし、帰国後パニック障害となってしまい、ベルフェゴール(七つの大罪の一つ怠惰の罪)に陥る。
 障害の治療のために訪れた病院でマッシモは女医エリーザと運命の出会いから次第に閉ざされていた心が解き放されていく。
 映画は30年の時空を越えてトリノとローマを行き交う。それは、古き良き時代と現代という二つの時代を映しだしているとともに、マッシモの過去と現在をあぶり出しているようでもあった。
 秀逸なエピソードが一つ挿入されている。母親が憎いという投書に対する回答を書くことになったマッシモ。ここで彼は自らの体験を思い起こしながら「母がいること」こそが大切で、母を抱きしめてあげて欲しいと書く。
 この投書欄が評判になり、マッシモに山のような手紙が殺到してくる。しかし、マッシモには心が晴れたような風もない。
 印象的な場面が二つあった。一つには、冒頭で、若く美しい母がマッシモとツイストを踊る場面。とても楽しくも狂おしそうで、映画のその先のなり行きを予感させたが、しかし、それは裏切られ実際には映画はどんどんシリアスになっていった。また、ダンスといえば、マッシモがパーティーの輪の中でエリーザと踊る場面があったが、そのあまりの激しさに戸惑うほどだった。この二つのダンスの場面は重なり合うのだろうが、私にはその意味するところは容易には読み切れなかった。
 もう一つは、サラエボの場面。激しい戦闘が行われている戦場で同僚のカメラマンが、銃弾に倒れた母親の死体のそばで、男の子が無心にゲーム機で遊ぶ様子をやらせでセットし写真に撮る場面があって、その戦闘シーンにリアリティがあっただけに痛烈な皮肉を感じた。男の子の無感動さはあるいはマッシモの意識下を示す隠喩であったのか。
 イタリア映画。マルコ・ベロッキオ監督作品。