ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

沼田真佑『影裏』

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文学青年の書いた小説
 文学青年の書いた小説というのが第一印象。よく出来ているし面白い。この数年来の芥川賞受賞作の中では出色の出来ではないか。いたずらに新しさに走らず落ち着いた文章で淡々としているが、綴られる内容は濃密である。
 盛岡に転勤してきた今野秋一。2年になるが、親密なつき合いのあるのは同僚の日浅典博くらいなもの。釣り仲間であり酒量もおおむね同程度だということもあり打ち解けている。三十に少し、独身同士でもある。
 この日浅が突然退職したと知らされる。本人からは何の前触れもなかったし、少し水くさいと感じた。
 その日浅が四ヶ月ぶりに突然訪ねてきた。互助会を運営する会社で訪問営業をやっているという。十日後に再び訪ねてくると、日浅は今野に一口入ってくれるよう頼む。この日を境に今野と日浅の仲に緊張感が入り込んできた。
 震災からしばらくしたころ、今野はパートの西山さんから呼び止められ、日浅が死んだかもしれないと知らされる。釜石に営業に行っていて津波に遭遇したものらしい。
 今野は盛岡の郊外滝沢村にある日浅の実家を訪ねる。男手一つで育てたという父と面談したのだが、もう三ヶ月になろうとするのに父親は捜索願を出そうとしていなかったのだった。
 なぜかと今野が問いただすと、「もう父親ではないんですよ」と言い、縁を切ったのだとも。
 ここまで、今野と日浅との関係に絞ってあらすじを追ってきたが、この間に、この小説に重要な枝振りとなっているエピソードが幾つか盛り込まれている。
 一つには、今野がかつてつき合っていた副島和哉について、四歳年が離れている、結婚していたかもしれないと語りながら、「喉の奥に激しい言葉の塊が始終閊えているような、胸苦しい二年間だった」と述懐し、岩手へ出向になってからは「ほかの一切はひと括りにした古雑誌のように省みることもなかった」と。
 なお、二年ぶりに受けた和哉からの電話は女性の声だったと言って、性別適合手術を受けたのだといきさつを話す。
 和哉と電話で話したアパートの部屋は、「廉いスノビッシュな雰囲気が青臭く漂うリビングでくつろぐ気にはなれなかった」のだが、思わず和哉に向けて「愚痴めいたことを漏らしていた」し、和哉には「三年経ったら戻れる」と励まされる。二人の間には悩み事まで話せる落ち着いた関係になっていたのだった。
 こうした物語は、あたかも映画のフラッシュバックやフェードイン、フェードアウトを駆使したような滑らかさであり、時間の変化と場面の切り返しが素晴らしく、小説として深みのある展開となっている。
 表現が独特で、これは小説として大事。特に言葉の遣い方と漢字の当て方に特徴があって、難しい漢字もたくさん出てくる。
 たびたび出てくる釣りのシーンが秀逸なのだが、釣った魚に鮠とあるものの、あまり見かける字ではない。うぐいとルビが振ってあったが、盛岡ではこういう字を当てるものなのかどうか。漢語辞典や国語辞典を開きながら小説を読んだのは久しぶりのことだった。
 また、固有名詞を括弧付きにしないで平に遣っているのも面白く、鷲の尾、南部美人などと流されると、酒好きでもなければ一瞬戸惑うかもしれない。
 盛岡独特の言葉遣いも滑らかだ。「また鮠(うぐい)。きりがないっけさ」「シンプルないい川だっけよ」「まだ、勤務中だっけ」などとある。語尾に特徴があるが、もっとも、これらは古くからの方言ではなくて、この頃の遣い方のように思えるが。
 「喉を縦にして美味そうに飲んだ」日浅について、「言葉よりむしろ自意識の点で、日浅はこの土地の人と違っていた」し、「自分の体と、土地の匂いとがとけ込んでいない。根本的な根の稀薄さからくる虚勢の感じ」とある。
 このような日浅の遭難が信じられない今野は、かつて日浅と飲み歩いた居酒屋を訪ね回ったりして消息を確かめるのだが、何の手がかりもつかめないことのみか、あれほど通った店だったのに、もはや二人の痕跡すらなかったとして愕然とする。
 本書で震災への切り込み方は巧みである。正面切った取り組みではないものの、盛岡を舞台にした物語を編んでいてはやはり避けられなかったのであろう。
 日浅の実家を訪ね、息子の遭難届も出そうとしない父親と対面しながら、客間には「電光影裏斬春風と、滴るような墨汁で書かれた模造紙が四隅を画鋲で留めてあるのが奇妙にわたしの目を引いた」とあり、「端正な楷書の七文字が、何か非常に狭量な、生臭いものに感じられた」と。
 電光影裏斬春風とは禅の言葉だが、ここでは果たしてどういう意味があるのだろうか。儚さと受け止めてもいいものであろうか。震災がなければ知ることはなかったであろう友人の素顔と寂しさが募ってくる。そう言えば、漱石は『吾輩は猫である』で、電光影裏斬春風について禅宗坊主の寝言みたいなものと失笑される場面を描いていたが。
(文芸春秋刊)