ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

詩情豊かな釧路

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(写真1 米町公園に建つ啄木の歌碑)
漂う最果ての旅情
  このたびの北海道旅行では釧路に1泊した。
 釧路は道東経済の中心だし、道東観光の拠点でもあり、道東では最も大きな都市。玄関口が釧路駅だが、駅周辺の街路は大方の北海道の都市同様碁盤の目のようにきちんと刻まれている。
 駅からまっすぐに伸びている広い通りが北大通で、沿道にはホテルや銀行が建ち並び、ビルには大企業の看板が軒並み並んでいる。
 北大通を駅から10数分も進むと、幣舞橋(ぬさまいばし)で釧路川を渡る。この周辺が釧路のヘソであろうか。もう河口に近いあたりで、魚市場が見えているし、橋のたもとにはフィッシャーマンズワーフMOOという複合施設もあってにぎやか。

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(写真2 幣舞橋上にある道東の四季像4体のうちの舟越保武「春の像」)
 幣舞橋は釧路を訪れたら必ず渡っておきたい魅力的な橋。欄干には裸婦の彫刻が4体。道東の四季の像と名付けられていて、40年前の制作なそうで、実力ある彫刻家たちの手になる。「春の像」を舟越保武、「夏の像」佐藤忠良、「秋の像」柳原義達、「冬の像」を本郷新がそれぞれ手がけた。春の像にはいかにも舟越らしく若い女性の清純さがあり、夏の像にはこれは佐藤特有の動きのあるポーズが見られた。
 なお、市内にはこのほかにもあちこちに彫刻やモニュメントがあって、詩情を豊かにしてくれた。また、橋上から見た河口の夕景が美しく旅情を増した。
 幣舞橋を渡るとその名を南大通と変えた坂道を登っていくと米町公園にたどり着いた。高台になっていて、釧路市街と釧路港を眼下に見渡せた。
  ここに石川啄木の歌碑があった。碑文に「しらしらと氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の冬の月かな」とある。 
  啄木が釧路に来たのが明治41年(1908年)1月21日のこと。釧路新聞社の記者として来釧したのだったが、滞在はわずか76日間に過ぎなかった。
 しかし、釧路の人たちにとって啄木は印象深かったのか、釧路に啄木の歌碑は実に27基に上る。歌碑の多い啄木だが、それにしてもこれはすごい。市街をぶらぶらしているとあちこちで啄木歌碑を見かける。特にこの米町周辺に多いように思われた。
 北海道を東にどこまでも進んできて行き着くところといえば根室ということになろう。しかし、私には釧路にこそ最果ての旅情を感じてならない。釧路は大きな都市だし、こうした印象は釧路の人にとっては迷惑なことかもしれないが。
 これには啄木の存在が大きいかもしれない。啄木には「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」という歌があって、そういう印象を強くさせている。もっとも、この頃は釧路駅が根室本線の終着駅で、根室駅が開業したのは大正10年(1921年)のことである。なお、この歌の歌碑が港文館というところにある。ここはかつて啄木が勤務した釧路新聞社のあったところなそうで、啄木記念館のような内容で、ここには啄木の銅像もあった。
 釧路は好きな町。ここに宿を取ったのはこれが4度目だが、その魅力は変わらない。その一つは酒と肴。駅から歩いてくると幣舞橋の手前左手一帯が飲食街となっている。新鮮な魚が豊富な炉端焼きが人気だが、私の好みは寿司。この一角には寿司屋も多いが、寿司の美味しさで釧路は全国でも上位ではないか。

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(写真3 幣舞橋上から見た釧路川河口の夕景)