ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

仰ぎ見る山城の備中松山城

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(写真1 仰ぎ見ると奥に天守。全国に12ある現存天守の一つ)
城下も素晴らしい備中高梁
 JR伯備線で何度も行き来していて一度は降りてみたいものだと念願していた備中高梁駅。備中松山城への最寄り駅だからで、このたびやっと実現できた。
 備中松山城は典型的な山城で、標高430メートル臥牛山山上の城郭は、雲海に浮かぶ天空の城塞として知られる。写真で見ると幻想的風景だが、雲海に浮かぶ姿が見られるのは11月から12月にかけての早朝に限られるらしい。
 お城へはタクシーで向かった。約10分。ただし、車が入れるのは8合目にあたるふいご峠と呼ばれる駐車場までで、ここからは歩かなければならない。約20分とのこと。
 ところがこれがきつい登り坂で、喘ぎながら登った。途中で、下ってきた人にもうそろそろかと問うと、まだ半分も来ていない、頑張れとのこと。息が切れる。

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(写真2 石垣が見事な備中松山城。急な登り坂)
 しかしこれは報われた。途中から石垣が見えてきた。野面積みのようだが、実に見事だ。曲輪が幾重にも階層となっている。籠城を前提に築かれた城のようで、いかにも難攻不落の堅牢そうだ。
 ふとここで疑問。それにしてもこんな高いところまで家臣たちは毎日登城してきたのだろうか。そう思ったのだが、政務は山麓で行ったとのこと。納得。藩主の住居も御根小屋という御殿にあったという。帰途立ち寄ったのだが、この御殿跡には現在県立高校があって、塀や石垣は往時のままだった。
 石段がさらに急になったと感じたら本丸だった。天守が現存している。素晴らしい。コンクリートで再建したお城とは違ってやはり情趣が深い。腰板張りの二層二階で、内部に登楼することができた。てっぺんからは眼下に城下が望めたが、なるほど高所にあることがわかる。面白かったのは、1階に囲炉裏が彫られていたことで、これは珍しい。籠城を念頭に置いていたというからこういう設備も用意しておいたのだろう。ただ、火気厳禁で、実際に使われたことはなかったという。
 なお、現存天守とは、江戸時代までに建設されそのまま保存されている天守のことだが、現在全国に12。弘前、松本、丸岡、犬山、彦根、姫路、松江、丸亀、松山、宇和島、高知それにここ備中松山城だが、私はこのすべてを見学したことがあって、その経験では、この備中松山城は最も小ぶりのように思える。
 最後の藩主が板倉氏で、5万石だったというし、山城でもあり、政務は山麓で執るようにしていたというから大きなお城は考えなかったのであろう。
 帰途、タクシーに城下を回ってもらったが、なかなか風情ある城下町だ。武家屋敷などが往時のまま連なっている通りがあったり、歴史的建造物も数多くて素晴らしい街並みだったし、ゆっくり散策してみたい魅力が感じられた。

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(写真3 風情ある城下町備中高梁の街並み。これは武家屋敷の通り)