ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

ひたちなか海浜鉄道に乗る

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(写真1 JR駅ホームに隣接したひたちなか海浜鉄道勝田駅)
廃線の危機から奇跡へ
 福島県いわき市の塩屋崎を訪ねた帰途は、常磐線を勝田で途中下車し、ひたちなか海浜鉄道に乗った。
 ひたちなか海浜鉄道は、勝田駅から阿字ヶ浦駅を結ぶ湊線を運営するローカル鉄道で、全線茨城県ひたちなか市を走る。営業キロは14.3キロ、駅数は10。
  3月9日。勝田駅1番線ホーム。JRの2番線ホーム上野方の一部を切り込んで設けられたようなホームで、小さな改札口が独立した鉄道であることをおとなしく主張していた。
 ホームには1両のディーゼル列車が発車を待っていた。少々くたびれた車両で、キハ11-203型とある。平日日中の下りだから乗客の姿は少ない。
 14時40分の発車。ブルンと車体を揺るがし常磐線から左に離れたと思ったらもう一つ目の日工前駅。駅間距離は600メートル。駅の真ん前には大工場の門があったが、このあたりはどこまでも日立の企業城下町である。
 ただ、面白いのは駅はどの駅もこぢんまりとしているのに、ホームがやたら長いこと。かつては上野からの直通列車もあったというし、今でも6両編成分のホームが健在で往時を偲ばせている。
  途中、高田の鉄橋という変わった名前の駅があった。到着する直前に、10メートルにも満たないような小さな鉄橋を渡ったが、これが駅名の由来なのであろうか。そうならば随分と面白いネーミングで、ほかに名付ける材料が乏しかったものであろうか。
 那珂湊14時55分着。沿線随一の町で、かつて合併前は那珂湊市ではなかったか。この鉄道会社の本社があり、車両基地もあった。車両基地にはあちこちの鉄道会社からかき集めてきたような様々な車両が留置されていた。勝田駅を除けば唯一の有人駅でもある。
 ここは那珂川を挟んで対岸には大洗の町が近い。また、ここまで田園の中を走ってきた列車はここで大きく左にカーブし、太平洋の海岸伝いに走る。平磯、磯崎などといかにも海辺らしい駅を経て阿字ヶ浦15時07分の到着。全線わずか27分の小さな旅である。

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(写真2 ひたちなか海浜鉄道の終着阿字ヶ浦駅)
 阿字ヶ浦には小さな駅舎。小さなローカル線の終着駅にふさわしいようなたたずまいである。この駅に降り立ったのは二十数年ぶり。かつてはそれこそ今にも朽ちなんとするような木造駅舎があった。
  ところで、このひたちなか海浜鉄道には面白い経歴がある。
 そもそもは茨城交通の一つの路線として経営されてきたものだが、茨城交通が採算難を理由に廃線を打ち出すと、存続を熱望する地元自治体が支援を表明、紆余曲折があって、結局、ひたちなか市と茨城交通が出資する第三セクター鉄道として存続することとなり現在に至っている。それが2008年。
 しかし、小さなローカル線のこと、厳しい経営環境に劇的な変化はないのだが、それでも出資者となった地元自治体の手厚い支援と、地元住民の存続に向けた活動に支えられ、乗客数は上向きに転じ、赤字幅も縮小となってきているようだ。
 また、大胆なことは積極的な攻めの経営で、実に路線中に新駅を開業させたのである。「高田の鉄橋」という変わった名の駅がそれで、2014年のこと。周辺には新興住宅地が広がってきているようだが、湊線で新駅は何と52年ぶりだったという。赤字経営のローカル鉄道としては珍しい。
 また、終点阿字ヶ浦駅の少し先には、東洋のナポリと喧伝される阿字ヶ浦海水浴場があり、国営ひたち海浜公園が整備されているが、鉄道会社としてはこの観光地の利便性向上を図るべく路線を一駅分延伸する計画もあるのだという。
 多大な被害となった東日本大震災を乗り越え、赤字ローカル線としては画期的な新駅開業さらに延伸と大胆な手を打って、廃線の危機からの脱出、さらには新たな飛躍に向けて、経済誌が謳うところの「奇跡」を成し遂げられるものなのか、ひたちなか海浜鉄道の奮闘が期待される。

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(写真3 阿字ヶ浦駅で発車を待つキハ11-203型列車)