ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

辺戸岬(国頭郡国頭村)

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(写真1=辺戸岬の突端に建つ祖国復帰闘争碑)
激浪の沖縄本島最北端
 沖縄本島ぐるり岬めぐり。
  那覇に到着して初日に本島南端の喜屋武岬、最西端の残波岬を回った後は、1日置いて3日目には最北端の辺戸岬(へどみさき)を訪ねた。
 この日は朝からあいにくの強い雨で、長時間運転に躊躇がないわけでもなかったが、沖縄はたびたび訪れるところでもないし、それに辺戸岬はこれまでに2度訪ねており様子もわかっていた。また、急変することの多い沖縄の天候のこと、いつ晴れ間が覗くとも限らないので強行した。
 那覇市街から辺戸岬までは130キロ、約3時間の道のり。朝7時36分の出発。まずは沖縄自動車道で終点までいく。許田インターまで約70キロ。走行中の車は少ないのだが、土砂降りの雨が強くてスピードが出せない。高速を降りて名護市街に入ったら8時54分だった。行程の半分を超したわけでまずは順調。
 ここからは国道58号線をひたすら北上する。この国道は那覇から続いていてまるで沖縄本島を背骨のように貫いている。名護からは東シナ海を左に見ながら海沿いに進む。
 この日は日曜日だったし、土砂降りだし、朝も早かったから道は空いていて、前後に車影が見当たらず、すれ違う車も時折出くわすだけ。この道は片側一車線で、追い越し禁止区間が延々と続いているから、普段ならのろのろ運転になるところだが、この日ばかりはほとんどノンストップ。
 それで思いの外はかどって、辺戸岬に着いたら9時44分だった。約2時間で到着したわけで、計画よりも1時間も早まった。
 岬では篠突く雨が降り続いている。しかも、風が猛烈に強い。しかし、岬好きのこと、この程度のことは織り込み済み。ただ、傘はキノコになってしまうし、骨も折れ曲がってしまった。何よりも困るのはカメラのレンズも曇ってしまうし、足を踏ん張っていても強風にあおられて体が揺れるし、カメラを持つ手が震えること。

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(写真2 断崖絶壁が続く岬周辺。激浪が足下を洗っている)
 少しだけ小高くなっている岬の突端に「祖国復帰闘争碑」という石碑が建っている。ここが岬の、沖縄本島の最北端にあたる。晴れていれば海上20キロほど先に鹿児島県の与論島が見えるはずで、沖縄の人たちは復帰を願って大きな声で叫んだということである。なお、あまり知られていないが、沖縄県の最北端は久米島町の硫黄鳥島である。座標は岬の突端の位置で北緯26度52分18秒、東経128度15吽56秒である。
 岬の突端周辺は、四六時中風が強いのだろう。丈の低い這うような樹木しか見当たらない。まるで沖縄とは思われないような樹相だ。地面は多孔質の尖った石で覆われている。サンゴ質だろう。
 後背地に目を向けると、断崖絶壁が続いている。高さは数十メートルにもなるだろうか。おそらくサンゴ礁が隆起したものであろう。晴れていれば楽しみな景観だが、この日ばかりは絶壁に立つことをさすがにためらった。
 岬には大きな駐車場があるのだが、訪れる人は稀だった。公衆トイレがあり、売店が営業していた。焼きそばや飲料を売っていたが、客はさすがに一人もいなかった。
 しばらく雨が小降りになるのを待っていたが、強まりこそすれ弱まりそうにもなく、それで、帰途は灯台を探索することとした。
 この岬の突端に灯台はなく、岬の西側に灯台のあることは初めて岬を訪れた際に見つけて知っていた。その時もなかなか見つからなくて苦労した覚えがあったが、今回も見当たらない。国道から脇に入っていくことは知っていたが、その取り付け道路が見つからない。前回の記憶を頼りに何度も行ったり来たりしたが見つからなかった。白い灯台だったことだけは鮮明に覚えている。ただ、高い草丈に遮られて眺望はよくなかった。

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(写真3 岬全体を見下ろすヤンバルクイナ展望台からの眺望)