ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

流鉄流山線

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(写真1 JR駅側から俯瞰した流鉄馬橋駅ホームとオレンジ色の流山線電車。すぐ右隣を通過中は常磐線快速電車)
心温まる「市民鉄道」
 流鉄とは、旧社名を流山電鉄あるいは総武流山電鉄と称していた鉄道会社。地元の人たちの通称をそのまま社名にしたものらしい。
 流山線はその流鉄が運営する唯一の鉄道路線。馬橋駅(千葉県松戸市)から流山駅(千葉県流山市)まで全線5.7キロ、駅数6(起終点含む)のまことに小さなローカル私鉄である。

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(写真2 流鉄馬橋駅。特別の駅舎はなくて、改札口に事務室がある。右は1番線に停車中の流山行き電車)
 9月11日日曜日。流鉄馬橋駅。JR馬橋駅の改札を出るとそのまま連絡通路で流鉄に渡れる。まるで、旧国鉄から分離独立した第三セクター鉄道の趣だが、流鉄はれっきとした独立系鉄道会社。ただし、とくに駅舎というものはなくて、改札口に出札窓口を兼ねた事務室があるだけ。ホームは1面2線。すぐ隣はJRの線路である。
 14時38分の発車。1番線。2両編成ワンマン運転。オレンジ色の塗色で、車体にNのラインが施されている。なお、編成ごとにカラーが違うようで、すれ違った列車などを見ているとブルーや黄色、赤などとあった。「流馬」などという愛称がついている。すべて2両編成で、5000系か、西武鉄道から譲受された車両らしい。
 発車してすぐに左にカーブしていく。住宅地の中を縫うように走っていてまるで接触しそうな感じだ。
 少しして一つ目の幸谷駅の手間でJR武蔵野線の高架をくぐった。この駅はJR常磐線・武蔵野線の新松戸駅にも近いようだ。
 次の小金城趾駅で上り列車と交換。路線中唯一列車交換のできる駅で、入ってきた列車は黄色の車体だった。乗っている列車は休日の下りでもあったから空いていたが、上り列車には立っている人もいた。
 小金城趾までは松戸市内だが、次の鰭ヶ崎、平和台、そして終点の流山駅までは流山市内である。各駅とも駅間距離は短くて、長くて3分、せいぜいが1、2分ほど。
 そうこうして流山駅14時50分着。全線わずか12分だった。1番線。1面2線のホームで、2番線にはブルーの電車が停車中だった。
 小さな古い木造の駅舎だが、鄙びたローカル線終着駅という風情ではない。東京から20キロ圏程度か、通勤圏にあるからだろう。自動改札はなくて、駅員が切符を受け取っていた。また、スイカやパスモには対応していなくて、これは通勤圏にしては珍しい。
 ただ、この駅員の気配りがよくて、乗ってきた列車は14時58分発ですぐに折り返したのだが、見ていたら、発車時間が近づいたらこの駅員はわざわざ駅舎の外まで出て駆け込んでくる客はいないか確認してから発車の合図を送っていた。このあたりの見えないサービスがこの流鉄が生き延びている所以かもしれない。
 駅に展示してあったパネルによると、流鉄は今年開業100年を迎えたとのこと。かつては地元産業であるみりんの輸送などで栄えたという。現在は運行されていないが貨物列車も走っていたわけである。
 また、この鉄道会社はそもそも旧流山町の地元住民の出資で設立された「町民鉄道」だとのことで、くだんの駅員の心配りも開業以来の伝統なのかもしれない。そう思うと、何げなく目撃した駅員のしぐさは大変心温まるものだった。
 駅舎そのものは20メートルほど入り込んでいるが、駅前には流山街道が走っている。江戸川沿いに松戸と野田を結ぶ県道で、野田の醤油、流山のみりんを東京へと運ぶ重要な幹線となっている。
 また、ここから徒歩数分のところに、近藤勇陣屋跡というのがあった。幕末、京を追われた近藤が流れ着いたところで、ここで捕縛されたようだ。

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(写真3 流山駅の小さな木造駅舎。首都圏にもこんな駅があるのかと懐かしくなる情緒だ)