哀悼に満ちた短編集
短編8編が収められている。
巻頭にある表題作の「砂浜に座り込んだ船」は、亡くなった友人と語り合う話。砂浜に乗り上げて座礁した貨物船を現地に見に行き、撮ってきた写真を自宅で見ていると、隣に友人がいた。友人は「こういう写真を一緒に見て話ができる相手」だった。
彼と話すのはいつも愉快だった。
自分を振り返れば、生きかたが不器用というか、こんな風に話せる友だちが少なかった。それはお互いさまだったかもしれない。二人の間に似た者という了解はあったと思う。
このような友人との語り合い。気になるフレーズが幾つかある。抜き出してみよう。
友だちというのは本質的に一対一のものだ
この歳になると人生に関わる真剣な話ができる相手は稀にして誠に貴重なんだ
死者はオブザーバーだからね。きみはいずれ離礁して、それから嵐の海に突入する
座礁ではなく難破。……。彼の場合は座礁だった。難破ではなかった。肉体としては彼はあそこで死んだけれど、彼の心は間違いなく離礁して母のいる岸辺にむかった。
こういう物語が続いている。一言でいえば死者への哀悼ということになるが、それは我が来し方を振り返るということでもある。
「砂浜に座り込んだ船」は、初出(「考える人」2011年冬号)で読んでいたが、こうして8編をまとめて読んでみると、初出で読んだときよりも池澤の痛切な心境がより深く身にしみてきた。
池澤にしては珍しく自伝的な内容のものあるし、此岸と彼岸を行ったり来たりする池澤の心境の変化は奈辺から来ているものか。70歳を超したばかりで、まさか老け込んだということでもあるまいが。
(新潮社刊)