ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

樺島灯台と野母崎(長崎市)

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(写真1=樺島灯台から見た野母埼。本土最西端である)

本土最西端は長崎港への玄関口
 九州を鉄道で巡る岬への旅。3日目に宮崎から吉都線、肥薩線、鹿児島本線、長崎本線と乗り継いで長崎に到着した。途中、寄り道をしたからでもあるが、大半が鈍行ばかりで延々12時間にも及ぶ列車の旅だった。
 7月25日旅の4日目最終日。地図で見ると長崎から南西に伸びている長崎半島を、その突端である野母崎へと向かった。この半島は別名野母崎半島ともいうらしい。また、大きくは西彼杵半島の南にくっついてもいる。
 長崎から国道499号線を下っていくと、初め長崎の郊外住宅地を進み、しばらくして軍艦島として人気の高い端島が見えてくると、ほどなく野母崎の集落に入った。ここまで長崎市街から約30分。ここで、左折してまずはいったん樺島へと向かった。

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(写真2=樺島灯台。展望台は劈頭に立つ爽快な気分だ)
 樺島は、野母崎にくっついたような島で、漁業の島のようだ。現在は樺島大橋で結ばれていて、長崎市街から島まで直通のバスが通っている。野母崎に灯台はなくて、この樺島にある灯台がその役目を担っている。もっとも、1932年(昭和7年)の初点だが、建設当初はここが野母埼灯台と呼ばれたらしい。
 漁港から細い道を一気に登っていくとほどなく樺島灯台。白い立派な灯台だ。地上から頂部までの高さが15.2メートルあり、平均海面から灯火までは125.6メートルもある。灯台はフェンスで囲われていて近寄ることはできない。座標は北緯32度32分52秒、東経129度46分45秒である。また、灯台に隣接して灯台資料館があった。
 灯台から百段ほども階段を下ったところに海に突き出て展望台が設けてあった。100メートルもの断崖絶壁にあり、視界を遮るものとてなくまるで劈頭に立つような気分だ。痛快な絶景でで、まことに見晴らしがいい。長崎を目指してくるとここが玄関口にあたるのであろう。
 ここから見ると、半島の先端は細長く横たわっており、その崎、海上数十メートルほどのところに小さく突起したような島があって、小さな灯台がのっている。大立神灯台というらしいが、遠いので判然とはしないが、小さくてまるで灯標のようだ。
 灯台から野母埼の集落に戻り、半島の高みにある権現山展望台に登った。ここからの眺望も素晴らしい。海抜198.4メートルもあり、日本本土の最西端にあたるということである。
 かつて、幕府の遠見番所が置かれ、明治には海軍望楼、太平洋戦争時には電探基地・高射基地が設置されたという。遠見番所ではオランダ船などの入港を監視していたようで、目撃したならば奉行所へ注進せよとの制札が立っていたらしい。
  この日は快晴で澄み渡っており、とても見晴らしがいい。眼前には端島が見えるし、その右隣に高島、さらに西彼杵半島までも遠望できた。
 とにかく、景色のいいことに加え、歴史を感じさせる半島であり岬であった。

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(写真3=権現山から見た島々。左手前が端島、右の大きな島は高島である)