ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

福岡市地下鉄全線に乗る

全鉄道全路線全二周への旅

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(写真1 空港線博多駅改札口)

3路線29.8キロ

 かつては福岡市営地下鉄と呼称されていた時期もあったが、現在は福岡市地下鉄に統一されている。福岡市交通局の運営。
 営業路線は、1号線(空港線=姪浜駅-中洲川端駅-福岡空港駅13.1キロ)、2号線(箱崎線=中洲川端駅-貝塚駅4.7キロ)、3号線(七隈線=橋本駅-天神南駅12.0キロ)の3路線29.8キロ。
 初め1号線の室見-天神間が1981年に開業、その後延伸を重ね、2005年に3号線全線が開業し、現在の路線網となった。なお、路線名は、ナンバリングではなく、愛称で呼ばれる。
 この福岡市地下鉄全線を改めて乗ろうと一日乗車券620円を握りしめて乗車。2021年7月21日。
 まずは空港線。博多駅から乗車。2011年の九州新幹線全線開業に合わせてできたJR博多駅の大ターミナルビルJR博多シティの地下。大変なにぎわいで、博多の最近事情はつまびらかではないが、福岡随一の繁華街天神に迫る盛り上がりではないか。

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(写真2 姪浜駅外観)

 1面2線のホーム。2番線から姪浜(めいのはま)行き8時05分の発車。博多港に沿った路線で、祇園、中洲川端、天神、大濠公園などと福岡の中心街を抜けて姪浜へ。地下鉄だから車窓に楽しみのないのが残念だ。8時25分到着。地上駅で、東口、西口とあり、いずれも戸外の住宅地といった様相。
 姪浜駅は、地下鉄空港線のほかJR筑肥線が乗り入れており、両線は相互に直通運転を行っている。唐津と福岡が1本の列車で結ばれていることになる。
 また、空港線と箱崎線は姪浜と貝塚間が直通する1本の列車で結ばれている。

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(写真3 貝塚駅改札口。奥は西鉄貝塚駅の改札口)

 次に箱崎線。貝塚駅から乗る。貝塚駅は、地下鉄線と西鉄貝塚線の共同使用駅で、両線の改札口は同じレベルで向かい合っている。なぜ、直通運転をしないのかというほどに近い。

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(写真4 貝塚駅周辺)

 地上駅で、9時17分発。駅前には大きな公園があり、この辺も窓外は団地の風景だ。
 箱崎九大前、筥崎宮前などを経て天神9時29分着。ここで七隈線に乗り換え。七隈線の天神南駅とは、地下道で結ばれているが、徒歩10分以上も離れている。なぜ、天神まで乗り入れなかったものか。延伸の計画はあるらしいが。

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(写真5 七隈線天神南駅ホーム)

 9時45分発橋本行き。福岡を南西に延びている路線で、三つ目の薬院は西鉄大牟田線との接続駅。橋本の一つ手前が次郎丸。こういう駅もあったのだ。橋本10時10分着。

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(写真6 橋本駅に停車中の折り返し天神南行きの列車)

 10時22分発で折り返し、天神南、天神を経て福岡空港へ。空港は長い間行っていた改造工事が終わったようで、地下鉄から空港カウンターへの接続がわかりやすく便利になった。
 とにかく、博多駅と福岡空港駅間は2駅3.3キロわずか4分のところ、これほど空港が近い大都市も珍しい。これが東京なら丸ノ内線で二つ目の御茶ノ水のあたりに空港があるということになる。かつては板付空港と呼ばれていた時代もあったが、騒音などの問題もあっただろうに、移転などしなかったのは貴重な判断だった。
 

関門航路灯浮標と六連島立標

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(写真1 関門航路第5号灯浮標)

門司下関周辺の航路標識③

 下関竹崎桟橋から六連島に向かう途中、関門航路を横切ったが、渡船上から二つの灯浮標が見えた。
 初めに緑色をした灯浮標で、これは関門航路第5号灯浮標。灯台表によれば、航路標識番号5527.05、北緯33度58分1秒、東経130度52分9秒、単閃緑光毎秒3秒に1閃光、光達距離5海里で、緑色円筒形頭標1個、同1~40号灯浮標は同期点滅、付録やぐら形と記してある。

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(写真2 関門航路第6号灯浮標)

 次に見えたのが赤色した関門航路第6号灯浮標で、航路標識番号5527.06、北緯33度58分3秒、東経130度52分4秒、単閃赤光毎3秒に1閃光、光達距離5海里で、赤色円すい形頭標1個、同1~40号灯浮標は同期点滅、個付赤やぐら形。
 関門航路を進む船舶は、この二つの灯浮標の間を通らなければならない。また、この灯台表の記述によれば、関門航路には40もの灯浮標が設置されてあるということになる。
 六連島が近づくと、ひょろっとした灯台が迎えてくれた。六連島東防波堤立標というようだ。立標とは、灯台、灯標のうち灯光を発しない施設のこと。この立標は、航路標識番号5537.3、北緯33度58分5秒、東経130度52分1秒で、構造・高さは赤塔形4.9メートルとなっており、備考に上部に赤色灯と記してある。

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(写真3 六連島東防波堤立標。太陽光を電源としているようで、赤色灯を発しているものと思われる)

下関外浜町防波堤灯台+あるかぽーと東防波堤灯台

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(写真1 下関唐戸桟橋上からみた赤と白の防波堤灯台)

門司下関周辺の航路標識②

 いずれも下関唐戸桟橋の灯台。写真左の赤色が下関外浜町防波堤灯台で、右の白色があるかぽーと東防波堤灯台。向かい合う二つの防波堤灯台を合わせて〝恋人灯台〟と呼んで親しまれている。
 付近は唐戸市場などで知られる下関随一の観光地。大正期の建物などが現役で、関門海峡を挟んで門司港と向かい合って大正ロマンが人気。
 下関外浜町防波堤灯台は、航路標識番号5425、北緯33度57分3秒、東経130度56分7秒、単閃赤光毎4秒に1閃光。灯光7.9メートル、光達距離4海里、赤塔形、塔高5.4メートル。初点大正2年9月、改築平成12年3月。デザイン灯台。
 あるかぽーと東防波堤灯台は、航路標識番号5425.1、北緯33度57分3秒、東経130度56分7秒、単閃緑光毎4秒に1閃光。灯高8.2メートル、光達距離5海里、白塔形、塔高6.2メートル。初点平成9年3月。デザイン灯台。
 二つの灯台は、建てられた時代が異なるが、どちらもとても味わいがある。特に、新しく建てられた白い灯台は、洒落たデザインと材料で感心した。

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(写真2 下関唐戸港入港直前右防波堤上に見えた下関外浜町防波堤灯台)

門司西海岸5号防波堤灯台

 

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(写真1 下関唐戸桟橋行き連絡船上から見た)

門司下関周辺の航路標識①

 3日間にわたり門司下関周辺の灯台巡りをしたし、関門海峡も船で渡ったから、この間、数多くの航路標識を見かけた。灯台好きではあるものの、日頃は沿岸灯台にばかり目がいって、防波堤灯台やその他の航路標識には関心が及ばなかったのだが、改めて気をつけてみると様々な航路標識があるものだ。

 愛称門司港レトロ灯台は、門司港レトロとして観光スポットになっている門司港の入口を照らす。平成9年3月19日の初点灯で、レトロの街の景観にマッチングするよう設計された。高さ約7メートルの八角形で、外観は赤煉瓦調となっている。
 灯台表には、航路標識番号5426.3、北緯33度56分8秒、東経130度56分6秒、灯光7.2メートル、光達距離5海里、構造赤塔形、塔高6.9メートル、灯質は等明暗赤光明3秒暗3秒と記載されている。
 門司港を出ると、すぐに長く伸びた防波堤の突端に見えてくる。

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(写真2 防波堤灯台については詳しくないが、どっしりとしている。扉の上部に初点銘版が見える)

特牛灯台(山口県下関市)

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(写真1 趣のある佇まいの特牛灯台。照射灯が併設されている)

  赤い光を放つ小さな灯台

 初めて現役の灯台として国の重要文化財に指定された灯台4基のうち、山口北九州にある角島、六連島、部埼の三つの灯台を巡った後は、少し足を伸ばして特牛灯台を訪ねた。

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(写真2 山陰本線特牛駅)

 特牛は、大変難読で、〝こっとい〟と読む。特牛灯台は、山口県下関市豊北町所在。山陰本線特牛駅が最寄り駅。特牛駅も難読駅として鉄道ファンの間で評判。位置関係としては角島のやや南ということになる。滝部駅、特牛駅、角島と巡回するバスが出ている。所要8分、特牛港下車。特牛港は、角島大橋が開通するまでは角島への渡船が出ていたらしい。ケンサキイカという良質のイカで知られる。バス停前の魚屋にイカが吊して干されていた。

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(写真3 特牛港)

 バス停から、魚市場とは反対側、角に喫茶店のある海沿いに進むこと約5分ほど。登り口が心配になって、道沿いの家の庭にいた年配のご夫婦に尋ねたら、ご主人がわざわざその登り口の見えるところまで案内してくれた。そのご主人、背の低い灯台だが道に迷うことはないだろうが、道は滑りやすいから気をつけてと。

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(写真4 夏草に覆われた灯台)

 くだんの登り口からわずか5分ほど。すぐに灯台にたどり着いた。なるほど、灯台は一段下にあるからなおさら低く見える。確かに塔高は6.3メートルと低いが、灯高は27.0メートルもあるから灯台の役割を果たすのに不都合はない。6角形の白色塔形で、味のある佇まい。照射灯(特牛地ノ瀬照射灯)が併設されている。

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(写真5 灯室の内部が赤く見えた)

 灯質は、単明暗白赤光で、赤色は分弧になっている。外見としては、灯室の内部が赤く見えた。灯台表には、赤光(分弧)35度~95度(鼠島、壁岩及び港口付近の険礁を示す)、104度~170度(双子島及び港口付近の険礁を示す)と記してある。

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(写真6眼下には特牛港)

 灯台から眼下を見渡すと、日本海が広がり、左端に特牛港が見える。
 帰途、注意が散漫になったころ坂道で滑った転んだ。登り口を教えてくれたおじさんのいう通りとなってしまった。その際、膝を不自然に曲げてしまったらしく、数日間、痛みが引かなかった。

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(写真7 灯台への登り口)

                        (2021年7月20日取材)

<特牛灯台メモ>(灯台表、現地の看板、ウィキペディア等から引用)
航路標識番号/0709
位置/北緯34度19分1秒 東経130度53分5秒
名称/特牛灯台
所在地/山口県下関市豊北町
塗色・構造/白塔形
レンズ/不明
灯質/単明暗白光明6秒暗2秒(赤光は分弧)
光達距離/4海里
明弧/35度-170度
塔高/6.3メートル
灯火標高/27メートル
初点灯/1912年(明治45年)1月15日
管轄/第七管区門司海上保安部

関門海峡を渡る

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(写真1 門司港から関門海峡を渡る。下関はすぐ対岸)

日本遺産ノスタルジック海峡

 関門海峡とは、本州の下関と九州の門司を隔てる海峡。最も狭まる壇ノ浦と和布刈の間は600メートルと狭く、早鞆の瀬戸と呼ばれている。下関市と北九州市にまたがって関門ノスタルジック海峡として日本遺産に認定されている。
 航路としての関門海峡は500メートルとさらに狭く、しかも、潮流は最大10ノットを超えることもあるという。また、潮流は日に4回向きを変える。海峡の長さは、前後部分も含めて約50キロといわれている。
 海峡。何と詩的な響きか。海峡にたたずむと、その峻別さにおののくと同時に、ロマンチックな気持ちなるのはどうしてか、
 日本は、大きくは四つの島からなる列島だから数多くの海峡があるが、関門海峡は、古来、往来の盛んな海峡。現在では、海底トンネルが3本、橋梁が1本が渡されている。これらによって、下関市と北九州市は関門都市圏としてくくられている。

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(写真2 門司港桟橋)

 ここでは、地上交通は使わず、海上交通を使って海峡を渡った。門司側は門司港駅のすぐそばにある門司港桟橋(マリンゲートもじ)から乗船。行き先は下関の唐戸桟橋。運賃400円。

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(写真3 関門連絡船)

 目的地はすでに対岸に見えていて、右に関門大橋を仰ぎ見ながらが海峡を渡っていく。すぐに唐戸桟橋到着。この間わずかに5分。海峡の気分をセンチメンタルに浸っている時間もないほどだ。

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(写真4 途中、右手に関門大橋が見えた)

 唐戸桟橋はにぎやかなところ。唐戸市場があり、下関グランドホテルがあってターミナルになっている。

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(写真5 唐戸市場を右に見ながら唐戸桟橋に到着した)

 唐戸市場は人気の魚市場で、この日は平日の日中だったから市場特有のにぎやかさは感じられなかったが、市場を見下ろす2階通路が一般客向けの食堂や魚屋となっているようだった。

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(写真6 ふぐの水揚げで知られ観光的にも人気の高い唐戸市場)

 桟橋の前には古い建物が健在で、往時を偲ばせていた。
 下関は大きな港で、この唐戸桟橋のほか、関釜連絡線が発着する国際船ターミナルや、下関駅に近い漁港などと点在している。なお、唐戸桟橋と下関駅はバスで約10分のところ。

復元された門司港駅

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(写真1 重文に指定されている門司港駅外観)

重要文化財の鉄道駅

 門司港駅は、鹿児島本線の起点駅。関門トンネルが開通するまで九州における鉄道の玄関口だった。現在は観光スポットである門司港レトロの中心的存在。
 小倉駅から鹿児島本線で門司港に向かうと、次の門司を出ると下関行きが分岐してトンネルに入っていき、門司港行きはそのまま地上を走り、小森江あたりからは多くの側線の集散を繰り返しながら終点へといたる。長いアプローチを経て行き止まるのは、函館や青森などと同様に連絡線時代の名残で、激しい旅情を感じる。

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(写真2 門司港駅ホーム。連絡線時代の名残か、長いホーム)

 門司港に到着すると長いホーム。これも函館や青森と同様で、2面4線の頭端式ホームが並んでいる。

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(写真3 ホームの端にある0哩標)

 ホームの端には、九州の鉄道の起点を示す0哩(マイル)標がある。1972年当時の国鉄九州総局が設置したもの。
 改札を出るとレトロな駅舎。この駅に降り立ったのはたびたびだが、前回の5年前の2016年には駅舎は改装中で、工事用のシートで覆われていた。2年前に工事は終了していて1914年(大正3年)当時の駅舎が復元されていた。
 外観は、ネオ・ルネッサンス様式で左右がシンメトリックになっている。なかなか味わいがある。鉄道駅としては初めて重要文化財に指定されている。次に重文に指定されたのは東京駅だが、これら二つの駅ともに、鉄道ファンならずとも誰しも外見を見ただけで駅名がわかるのではないか。貴重な存在だ。

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(写真4 かつての切符売り場)

 駅舎内には、切符売り場や待合室などが当時のまま残されており、待合室はカフェになっていた。

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(写真5 かつての二等待合室はカフェになっていた)

 駅を中心に周辺は門司港メトロとして観光スポットになっている。大正時代建設の建物が現存しており、往時の殷賑を偲ばせてくれている。

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(写真6 門司港メトロの一つ三井倶楽部)

 珍しいのは「はね橋」、歩行者用の跳ね橋としては日本で最初のものらしい。待っていたら大きく開いた。もとより船舶の航行を助けるためのものだが、航行する船は少ないようだった。

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(写真7門司港駅のそばにあるはね橋)

 周辺をぶらぶらして気がつくのは、〝焼きカレー〟の看板がいたるところにあること。どういうものか食べてみた。ひと言で言えば外見はラザニア。ご飯の上にカレーをかけ、チーズをのせオーブンで焼いたもの。元々はレストランのまかない料理として提供されていたものだということ。門司港には何度も訪れているが、これまで気がつかなかった。このごろ評判になったものであろうか。

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(写真8 近ごろ門司港名物焼きカレー)