ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

市内電車とつながった富山港線

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(写真1 富山駅停留所の様子)

富山ライトレールの鮮やかな転進

 富山港線についてはいささか解説がいる。そもそもは、富山地方鉄道(通称富山地鉄あるいは単に地鉄)の前進富岩鉄道によって1924年に開業した路線で、その後、戦時買収によって国有化され、国鉄の富山港線となった。しかし、国鉄の分割民営化で継承したJR西日本は2006年に富山港線の廃止を行い、第三セクター富山ライトレールが承継しLRT路線として復活した。この際、新たに設けられた富山駅北-奥田中学校前間の線路を付け替えて軌道敷きとし、同時に、岩瀬浜までの全線に渡って路面電車化した。さらに、JR富山駅の高架化によって、それまで分断されていた南北を貫通させ、富山駅北停留所を廃止して富山駅停留所に乗り入れさせ、南側で走っていた市内電車と直通運転をさせた。また、富山ライトレールは富山地鉄に吸収合併され、今年2020年3月21日、実に79年ぶりに富山地方鉄道富山港線が復活した。
 富山地鉄が運行する富山の市内電車には、1から6まで6つの系統があるのだが、このうち4系統(岩瀬浜-南富山駅前)、5系統(岩瀬浜-富山大学前)、6系統(岩瀬浜-環状線)の3つが富山港線と相互に乗り入れていて直通運転を行っている。
 富山駅停留所で発着を見ていると、3面4線のホームに8番まで乗り場があって、8番ホームが岩瀬浜方面の乗車、5番ホームが岩瀬浜方面からの降車となっている。また、電車は、岩瀬浜乗り入れがトラム型車両で、乗り入れの行わない1から3までの系統の車両は旧来のもののようだった。

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(写真2 奥田中学校前停留所付近ですれ違う電車)

 さて、富山駅を発車すると、奥田中学校前までの1.2キロの区間は軌道線で、その先の岩瀬浜までの6.5キロが鉄道線となる。奥田中学校前はその手前で大きく左折した。もっとも、乗っていると軌道線も鉄道線も変わりはないのだが、法律上の区分はそういうことになっている。
 鉄道線に入ると専用区間だから走行もスムーズ。途中、城川原は、富山ライトレール時代に本社のあったところで、ここで乗務員の交代があった。

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(写真3 岩瀬浜の手前で運河を渡る電車)

 やがて競輪場前を過ぎると運河を渡った。右窓遠くには純白の立山連峰が見えた。
 そうこうして終点岩瀬浜。富山駅から27分の乗車。路線距離7.7キロ、駅数は13。駅舎というよりは屋根付きの停留所というところ。ホーム反対側には、フィーダーバスの停留所となっている。岩瀬浜周辺のバス路線で、運行時刻は電車と連動しているようだ。

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(写真4 終点岩瀬浜)

 駅に掲示してあった時刻表によると、日中は、毎時01分と31分が環状線直通で、16分発は南富山駅方面、46分発が富山大学方面行きとなっていた。朝夕はともかく、日中は定刻運行だからとてもわかりやすいダイヤだ。JR時代に比べれば、運行本数は3倍以上にもなった。なお、この発車時刻表によると、富山駅止まりという列車は設定がないようだ。

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(写真5 岩瀬浜停留所に掲示してあった運行時刻表)

 岩瀬浜で降り立ったのは実は今回が4度目。JR時代に1度、富山ライトレールになって2度来ていた。JRが音をあげた路線を第三セクター富山ライトレールが引き取り、しかもLRT化した。その様子が気になっていた。しかし、来るたびに富山市民の支持が高まっていて、安定した運行となっていた。
 LRT化したことによって、車両の低床化が進み、駅のバリアも消えたし、お年寄りにもやさしい鉄道となっていた。運行本数の増加も利用者本位のものとなるなど利便性が著しく向上した。
 そしてこのたび、いっきょに市内電車と直通運転をすることによって市街中心へと乗り入れることができた。日本の鉄道の未来図を見ているようだった。(2020年11月12日取材)

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(参考 JR時代の岩瀬浜駅=1990年9月23日撮影)