ABABA’s ノート

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映画『博士と狂人』

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(写真1 映画館で配布されていたパンフレットから引用。写真上段が博士マレーを演じるメル・ギブソンと下段は狂人マイナー役のショーン・ペン)

オックスフォー英語辞典誕生秘話

 オックスフォード大学図書館。吹き抜けの壁いっぱいの巨大な書架と膨大な図書。あたかも権威の象徴のようだ。1872年、ここでオックスフォード大学出版局の理事会が開かれていた。議題はすでに20年も遅れているオックスフォード英語辞典(通称OED)の編纂をマレーに託すかどうかということ。マレーは学位もなく、独学で言語学を修めたといういわば異端の学者。伝統的な権威を重んじる大学としては反対するものが根強かったのだが、マレーの能力が買われた。
  マレーの編集方針は、シェークスピア時代にまで遡りすべての単語、新語も古語も収録するということ。また、引用を掘り起こし言葉の変遷がわかるものにすること。マレーは英語圏すべてにおいて正しい英語の確立を目指したのだった。つまり、Dictionary in dictionaryという途方もない構想。
 当然、困難が予想され、膨大な時間と労力が必要とされた。ここでマレーが取った方策は、千人のボランティアを動員するというもの。世界中にアンケートを募り単語の提供を呼びかけたのだ。
 協力者の中に次から次へと大量のカードを送ってくれる人物がいた。マイナーである。マイナーには、いちどでも読んだ本の単語は忘れないという特殊な才能があったのだった。
 しかし、編纂は遅々として進まず、マレーへの風当たりも強まってくる。しかも、最大の協力者であるマイナーが、精神病院に隔離されている殺人者だということが明るみに出る。イギリスの権威ある辞書づくりに犯罪者が含まれている、しかもマイナーはアメリカ人であり軍医だった。マイナーは、戦争で気を病み、幻影に追われるようになって、人違いで殺人を犯してしまい収監されていたのだった。
 この映画で重要な役割は、もちろんマレーとマイナーだが、さらに、マイナーが殺した男の妻イライザと、精神病院の看守マンシー。イライザは、初めマイナーを憎み許すことができなでいた。また、マンシーは、精神病院で院長に逆らってまでマイナーを理解していた。
 この映画の見所は三つ。一つはOED編纂の秘話。英語辞典としては世界最大最高権威のOEDの編纂の様子がわかって興味深い。さながらOED版〝舟を編む〟といったところ。しかも、OEDの特徴はマレーがどこまでも追求したように初出も含め言葉の遷りかわりがわかること。これは世界の辞書の中でも希有な偉業であろう。アメリカにはウエブスターという英語辞書があるが、初出も含めるということではOEDが嚆矢となった。
 二つには、友情と絆。マレーとマイナーは次第に理解を深めていって、二人の友情と絆がOEDの編纂の大きな原動力となった。
 三つには償いと愛。イライザは、夫を失ったことによって生活は困窮していたし、マイナーを許すことができないでいたのだったが、償いを諦めないマイナーへの愛に気づく。
 劇中で「愛があれば その先は?」というフレーズが二度出てきたが、これはどういう意味にとらえればよいのだろうか。それは、愛を呼ぶ、ということなのであろうか。
 ちなみに、博士マレーを演じたメル・ギブソンも狂人マイナー役のショーン・ペンもともにアカデミー賞受賞俳優であって、この二人の好演が映画に深みをもたらしていた。
 なお、些細なことかもしれないが、原題はTHE PROFESSOR AND THE MADMANとあった。監督はP.B.シェムラン。