ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

ああ!大井川鐵道の旅

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(写真1 右に左に車窓から離れない大井川)

どこまでも大井川に沿って

 大井川鐵道は、どこまでも大井川に沿って遡上する路線。全線に渡ってほぼ離れることがなく、〝川は鉄路の友だち〟と謳う私のコンセプトにふさわしい路線だ。
 大井川本線と井川線で構成されており、東海道本線に接続する金谷駅と千頭駅を結ぶ大井川本線と、千頭からさらに北上をつづけ井川駅に伸びる井川線がある。これは、千頭で運転系統が大きく変わるためである。
 大井川は、南アルプス赤石山脈の間ノ岳を源流に静岡県中央部を南下し、島田と金谷のあいだを抜けて駿河湾に注いでいる。流路延長168キロの大河である。流量が多くダムの設置による水力発電が盛んに行われている。

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(写真2 発車を待つ千頭行き列車。近鉄時代の車体色そのまま。左はJRの線路とホーム)

 大井川鐵道(通称大鐵)の起点は金谷。JR金谷駅に隣接して大井川鐵道の駅舎があるが、東海道本線の2番線ホームからも中間改札を経て直接大鐵のホームに入ることができる。片側1面1線の小さなホームがある。
 2両の電車。かつての近鉄の車両がそのままの塗色で使われている。8時59分発。平日の下りだし列車は空いている。
 発車すると次の新金谷で大井川が現れた。対岸が島田で、江戸時代、東海道に大井川を渡る橋がなく、この金谷-島田間が渡河地点となっていた。渡船も禁じられていたため人足による肩車などで渡った。このため両岸の島田と金谷には川会所があったという。なお、橋がなかったのは江戸防衛上幕府が架橋を禁じたからだとされてきたが、近年の研究では、大井川の流量が多く川幅も広かったところからそもそも架橋が難しかったという説が有力らしい。

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(写真3 沿線には茶畑が続いている)

 右窓に大井川が続いている。川幅の広い川だ。これほど幅の広い川も珍しい。砂利も多い。沿線には茶畑が広がっている。川霧の発生が茶の栽培には適しているらしい。コスモスも咲いていていかにも秋の旅だ。

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(写真4塩郷の吊り橋)

 川間温泉笠間渡で川を渡った。塩郷に至って吊り橋が見えた。塩郷の吊り橋というらしい。沿線には耕地は狭いのにどこまで行っても家はある。古い木造駅舎の駅が続く。線路の長さなら30キロを越えているのにどこまで行っても川幅は広い。

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(写真5 千頭駅。駅前には土産物屋や食堂など商店街があった)

 崎平の手前で川を渡り、千頭では右になった。10時14分到着。大井川本線はここまで。井川線への乗り継ぎ駅だけに大きな構内。
 トーマス号が留置されている。人気のSLである。この日は平日だから運行されていなかったが、SLが通年運転されている珍しい鉄道路線である。このSLの運行が大鐵の経営に大きく寄与しているに違いない。土休日なら子どもたちが群がっていたはずだ。
 なお、帰りのことだが、乗った列車は南海の古い車両そのままだったからうれしくもびっくりした。(2020年10月6日取材)

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(写真6 千頭駅構内には大鐵の人気SLトーマス号が留置されていた。千頭駅には転車台もあって機関車はきちんと反転できる)