ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

宮本輝『灯台からの響き』

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何を求めて灯台巡り

 旧中山道板橋宿の仲宿商店街で中華そば屋を営んでいた牧野康平は、二人三脚で切り盛りしてきた妻の蘭子が2年前に亡くなると、一人では「まきの」の味は作れないといって休業してしまった。俺のはラーメンではなくてあくまでも中華そばだというのがこだわりで、なかなかの評判だった。
 康平の日常は読書三昧。中華そば屋が読書かと思うが、これにはわけがあって、若いころ、近所のカンちゃんが、おまえと話をしていてもちっとも面白くない、本を読めと薦められたのがきっかけで、以来、40年も読書の習慣が続いている。自宅の一室を図書室にしてあり、800冊の本が積まれている。
 この日も寝転がって『神の歴史 ユダヤ・キリスト・イスラーム教全史(カレン・アームストロング著)』という本を読んでいたところ、葉書が挟んであるのに気づいた。
 大学生活最後の夏休みに灯台巡りをしました。見たかった灯台をすべて見て満足しています。旅のあいだじゅう早起きをつづけたので、いまはただ眠りたいです。一九八七年九月四日――と書かれ、下半分には細いペンでどこかの岬らしいジグザグの線が描かれている。宛先は牧野蘭子、差出人は小坂真砂雄とある。
 30年前に届いたこの葉書のことは康平にも記憶があり、当時、蘭子は小坂真砂雄という大学生にはまったく覚えがないと言い、このような葉書が届いたが私はあなたをまったく知らない、もしあなたが誰かと間違えたのなら、葉書をお返ししなければならない、といった返事を出していたのだった。それに対しての返信はなかったが、蘭子からの手紙が宛先不明で戻ってこなかったのだから、小坂真砂雄には届いたはずなのだった。
 同じ商店街の山下惣菜店。店主のトシオとは幼なじみの親友で、いつものように夕食の惣菜を買いに寄ったところ、灯台の写真を使ったおととしのカレンダーが壁に掛かっているのに気づき貰って帰った。
 一月に北海道の納沙布岬灯台、関東は三月に犬吠埼灯台、東北は二月に大間崎灯台の白と黒の横じまの姿。康平は灯台巡りもさることながら、灯台そのものの美しさと一種の孤影のようなたたずまいに惹かれ始めた。灯台への興味が募ると、康平はネットで写真家岡克己の『日本灯台紀行』を探して注文した。
 岬巡りの手始めは、房総半島。洲崎灯台、野島埼灯台。途中から長男の賢策が合流した。犬吠埼灯台で泊まった。賢策と旅をしたのは初めてだった。賢策は「あの葉書に背中を押されて、家から外に出てきたわけだ」と指摘した。
 旅の途中で康平は、「俺は蘭子のことをよく知らないなと思った。履歴は知っている。両親や兄妹も知っている。だが、それだけのことなのだ」と。また、康平はいつしか店を再開しようと考え始めていた。
 ここまで読んで、作中とは関係のないことだが、旅には、来し方を振り返り、あるいは、先々に思いを巡らす、そういう瞬間があるものなのだろうとふと私には感じられたことだった。
 次男の雄太が姉の朱美に語っていたこと。母には毎年出雲から年賀状が届いていた。しかし、母は出雲の話をしたことがないし、母に訊ねても口を濁していたと。
 この話を朱美から聞かされた康平は、「そんな話は、蘭子の口からいちどたりとも出たことはないな」と思ったし、俺と蘭子とは仲がよかったと思いながら、俺の知らない蘭子があったことについて康平は戸惑っていた。
 岬巡りは東北へと足が伸びていて、竜飛崎灯台、尻屋埼灯台と巡った。この旅にはカンちゃんの息子新之助が同行していたのだが、その新之助がくだんの葉書を見て、ここに描かれている岬は出雲の日御碕灯台だと指摘した。
 康平はやがて出雲へと導かれていくのだが、そこでは蘭子の知られざる過去が明らかになっていった。出雲に隠さなければならないどんな事情が蘭子にはあったのか。
 慈愛に満ちた物語だ。下町の人情話でもある。ときに冗漫で大衆小説の趣だ。しかし、謎を秘めて進む物語は読む者に先へと促す面白さがあって、一気に読ませた。さすがに手練れの小説である。
 登場する灯台も物語の進行を指し示しているようで興味深い。灯台ファンにとっては周知の灯台ばかりだが、灯台に寄せた言葉が新鮮だ。
 灯台ってのはあんまり近くから見るもんじゃありませんね。百メートルくらい離れたところから、回転する光を見てこそ味があるんでね。(野島埼灯台で)
 夕焼けはだれの目にも美しいが、やはり沈んでいくものの寂しさがあるなと思い、犬吠埼灯台のほうに体の向きを変えた。
 (龍飛埼灯台で)、なんだかずんぐりむっくりした灯台だった。「でぶで短足なおっさんて感じじゃないか。そろそろ外壁くらい塗り直してやってほしいな」。(これには大賛成)
 (尻屋埼灯台で)、動かず、語らず、感情を表さず、海を行く人々の生死を見つめてきた灯台が、そのとき康平には、何物にも動じない、ひとりの人間そのものに見えていた。
(集英社刊)