ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

江差線江差駅


シリーズ 駅 情景

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(写真1 ありし日の江差駅=1991年6月29日)

廃線になった終着駅

 江差線は、五稜郭駅と江差駅の間79.9キロを結んでいたJRの路線(ただし、すべての列車は函館発着)。このうち、木古内-江差間は2014年に廃線となり、江差駅は廃駅となった。また、五稜郭-木古内間は北海道新幹線の開業に伴い道南いさりび鉄道に転換された。
 廃線となった木古内-江差間は42.1キロ、10駅、津軽海峡から日本海へと松前半島を横断する路線だった。渡島半島を足だとするなら、木古内は土踏まず、江差は足の甲にあたる。松前半島は、渡島半島のうち足の土踏まずから甲にかけて先の部分にあたる。
 木古内を出るとほどなく山間部へと分け入る。吉堀を出て少しして稲穂峠をトンネルで抜けた。渡島支庁と檜山支庁の境である。25‰で登り、20‰で下った。湯ノ岱に至って温泉があるらしく、駅前に旅館があった。

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(写真2 車窓に続くのは天の川か)

 乗ったのが冬の季節ならば、沿線に梢に雪の張り付いているのが見て取れるし、朝日に白銀が輝いている。月並みな表現だがその通りに美しい。左窓に川が寄り添ってきた。地図で確認すると天の川とあった。誰が名づけたものか随分とロマンティックなものだ。これが初夏の季節ならば鮎釣りの姿を見ることができる。
 江差が近づいてくると海岸に出る。海が澄んだブルーである。紺碧ではないし、冬の日本海でこれは珍しいほどで、紺青あるいはプルシアンブルーというべきか。

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(写真3 行き止まりの終着駅江差駅のホーム)

 そうこうして江差着。函館から2時間20分、木古内からなら約1時間10分である。片側1面1線のホームである。かつての繁栄の名残か、構内には多数の側線があった。
 江差の街は駅からやや離れている。高台にあって、駅からは下るように15分ほどか。江差線で江差の駅に降り立ったのはこれまでに二度。初めは1991年6月29日で、二度目が2011年2月12日。

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(写真4 高台から見下ろした江差の中心街)

 20年ぶりの再訪だったが、大きな変化は感じられなかった。ただ、二度も街をぶらぶら歩いたからこの街のことは多少なりともわかった。
 つまり、この街はよくできている。江差はニシン漁と北前船で栄えたのだが、港町の例で、街は斜面に張り付くように広がっている。それで、最下段に海岸通りがあり、その上の次の段にはいにしえ街道という古い街並みが残っており、さらにその上の段の通りには学校などが並んでいる。察するに、過去に津波の被害でもあったのだろうか、災害に強い街づくりが行われていたのである。駅は最も高いところにあり、不便ではあるが災害対策を優先させたものであろう。詳しく調べたわけではないが、私にはこのように受け止められた。
 いにしえ通りには、重文に指定されているかつての網元の住居もあったし、港には海陽丸という船が係留されていた。幕末、幕府の艦船だった船だだが、江差で座礁したものらしい。
 江差まで来たなら是非とも寄りたいのが海鮮の店。ただし、時間がまだ早かったせいか店はまだ開いていなくて、江差追分会館というところでウニ丼を食べたが、さすがにこれは絶品だった。江差は紛れもなく江差追分発祥の地なのである。
 ところで、来る途中の列車では、母親に連れられた小学校高学年の男の子と一緒だった。この子は、函館から江差まで2時間余もずっと運転席の後ろに立ちっぱなしだった。よほどの鉄道ファンなのであろう。帰りの列車でも一緒だったが、北海道は鉄道ファンを育む夢の大地である。この頃ではあちこちの路線が廃線になってしまって随分と寂しくはなってしまったが。

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(写真5 かつての木古内駅。現在は新幹線開業に伴い立派な新駅舎となった=2011年2月12日)