ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

『シンコーメタリコン創業80年史』

f:id:shashosha70:20200801153049j:plain

我が国溶射工業のパイオニア

 メタリコンとは、溶射技術のこと。表面改質技術の一環として、化学機械や製鉄機械、航空機などに適用され、近代工業にとって必須の技術となっている。
 シンコーメタリコンは、この溶射工業の我が国のパイオニアで、1933年の創業。創業者立石亨三氏が京都帝大工学部卒業後京都・山科の地に設立した。創業時の社名は新興メタリコン工業所。当初から溶射企業として発足したが、二代目社長立石善通氏の時代に滋賀県湖南市の現在地に新社屋新工場を新築移転した。現在は三代目の立石豊氏が社長。
 この間、一貫して我が国溶射工業を牽引してきたが、その歩みは技術革新の連続だったようだ。当時、どのような技術か、文献も少なかった時代に、自ら溶射機の開発から始めたといい、単なる防錆溶射からより高い技術力が必要とされる機能溶射の分野へと発展していった。その転機になったのがプラズマ溶射装置の導入だった。
 社史をひもとくと、同社の取り組みがよく分かる。「日本を機械長寿の国に」「機械に未来を溶射する」などとあり、機械に新たな機能を溶射することによって、機械の高機能化、長寿命化、安全性の向上などが図られる。
 同社は、技術開発型の企業のようで、特に本社工場を移転した1983年頃からの発展はめざましく、新たな装置の導入によって溶射の新しい開拓を進めてきた。また、溶射技術研究所を設立したり技術志向は強く、ISO9001の認証取得するなど品質の確保に挑戦してきている。
 この社史の題名が面白い。80th+7とあり、つまり、創業80周年の節目から7年も経ってからの発刊となっている。この間には様々な環境の変化もあったのだろうが、社史から読み取れることは創業以来一貫して技術開発を怠ることなく、従業員を大事にしてきたという姿勢。
 技術者の中には、黄綬褒章や現代の名工、あるいはおうみ若者マイスターといった受賞者が続出しており、大きな伝統となっている。
 従業員を大事にする姿勢は技術者のみならず、一般の社員など隅々まで及んでおり、これらの人々が数多く登場している。これほど多くの従業員が誌面に登場している社史というものも珍しいほどだ。つまり、社員こそが主役の社史と言えるわけで、同社の経営の精神なのであろう。定年退職する人を卒業式とよんで祝い讃えているのもその姿勢の一つであろう。