ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

関崎と関埼灯台

シリーズ 灯台慕情

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(写真1 展望台から見下ろした関埼灯台と高島。その向こう水平線上に佐田岬がかすかに望める=2016年7月23日)

佐田岬と相対

 関崎は、大分県の佐賀関半島の先端。関埼灯台がある。最狭部ならわずか幅わずか13.5キロの豊予海峡を挟んで愛媛県の佐田岬半島と相対している。瀬戸内海と太平洋を結ぶこの海峡は潮流がきつく船舶にとっては難儀なところだが、流れの速い潮流が好漁場となっており、ここで水揚げされる〝関アジ・関サバ〟は好まれている。

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(写真2 日豊本線の幸崎駅)

 関崎へは、日豊本線の幸崎が最寄り駅。大分からなら鈍行で約30分。ここからはJRバスが佐賀関まで出ている。約20分。高い煙突が見えてくると終点である。かつての日本鉱業、現在のパンパシフィック・カッパーの佐賀関精錬所である。我が国最大の粗銅生産量で知られる。

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(写真3 バス車中から遠望した佐賀関精錬所。煙突が2本見えている=1992年8月19日)

 高い煙突は日本の重工業の象徴のような存在で、かつては東洋一高い煙突として小学校の教科書にも載っていた。
 初めて訪れた1992年には2本の煙突だったが、次に訪れた2016年には1本になっていた。古い1本は撤去されたようだ。残った赤白縞模様の煙突は高さが200メートルもあるという。

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(写真4 さがのせき駅と看板がある)

 JRバスの終点は佐賀関駅となっている。バスの停留所とは思われないほどの立派な駅舎である。鉄道駅跡をバスの停留所として活用する例は多いが、ここにはかつて日鉱の専用線があった。軌間762ミリの小さな鉄道ながら、貨客両用で、沿線の社宅から従業員を運んでいたようだ。また、ここは漁港でもあって、かつてタクシーの運転手に教えて貰った寿司屋で食べたアジとサバは、肉厚ながら身が締まり大変美味なものだった。
 なお、私はこの日はこのあと湯布院に向かう予定だったのだが、佐賀関駅では佐賀関から由布院までのJRの切符を発行してくれた。(幸崎・南大分・久大)経由とある。

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(写真5 佐賀関発行の湯布院行き切符)

 さて、バスは佐賀関からその先へは伸びていなくて、歩くと山道を1時間以上もかかるというので、タクシーにした。なるほど、ほぼ登る一方の狭くくねくねした道が続いている。これは岬への道の常だが、20分もかかった。
 途中に、関崎稲荷という神社があり、ここが灯台への入り口だった。ここからは起伏の緩い道を約10分ほど。

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(写真6 関埼灯台。鉄造である)

 岬の突端には関埼灯台。灯台は、灯塔が付属舎に付いているという様子。初点銘版には明治三十四年七月とあり、いかにも明治期の灯台という感じ。鋲の跡がはっきりしており鉄造である。
 ややずんぐりしているが、灯高は70メートルもあり、豊予海峡を眼下に絶景である。タンカーなど船舶がしきりに往来している。海面を注視すると、潮の流れが見た目にもわかるほどだ。
 二度目に訪れたときには、後背地に海星館という展望台があった。ここからのながめは、灯台と豊予海峡と佐田岬が一望にできて素晴らしいものだった。

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(写真7 海星館)

<関埼灯台メモ>(灯台表、現地の看板、ウィキペディア等から引用)

航路標識番号/4979
位置/北緯33度16分0秒 東経131度54分1秒
名称/関埼灯台(せきざき)
所在地/大分県大分市関崎
塗色・構造/白色塔形、鉄造
レンズ/第4等不動白光
灯質/等明暗白光 明3秒、暗3秒
実効光度/5600カンデラ
光達距離/12海里(約23キロ)
塔高/11メートル
灯高/69.5メートル
初点灯/1901年(明治34年)7月20日
管轄/海上保安庁第七管区海上保安本部大分海上保安部