ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

部埼灯台

シリーズ 灯台慕情

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(写真1 1日千隻もの船舶の安全を見守る部埼灯台)

関門海峡の入り口を照らす

 下関と門司は一直線に繋がっているのではなくて、地図を子細に見ると、少しずれている。つまり、下関側が南へ長く伸びているのに対し、門司側は北へ向かって本州へ食い込んでいる風である。この両者のずれた間が関門海峡ということになる。
 九州側で本州に食い込んでいるのが企救半島で、部埼(へさき)はその北東端にあたる。つまり、関門海峡の九州側東端であり、周防灘に面する。
 部埼へは、鹿児島本線の起点門司港駅からバスが出ている。ただし、白野江行きというこのバスは部埼までは届かず、その先およそ1時間ほども歩かなければならない。タクシーなら門司港駅から約30分の距離だ。
 岬が近づくといかにも海峡という様子。部埼灯台は小高い丘の上にあり、海岸沿いの道路から狭い階段を数十段ほど登らなくてはならない。

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(写真2 眼前の海峡はまことに狭い)

 素晴らしい景観だ。眼前が関門海峡である。狭い海峡だからまるで入江のようにも見える。対岸の山口県側とは指呼の間である。右手奥は小野田あたりか。
 船舶の往来が激しい。実際、1日あたり1千隻もの交通量があるというから驚く。岬の突端に立つ灯台から茫漠とした風景を眺めるのも風情があるが、こうした交通量の多い灯台から見るというのも灯台の持つ役割が如実に感じられて捨てがたい魅力である。

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(写真3 ブラントンの設計になるAランクの保存灯台である)

 灯台は白くずんぐりとしている。花崗岩による石造の灯台である。明治5年(1872年)の初点で、幕府が欧米列強と設置を約定した五つの灯台の一つであり、歴史的価値が高いところからAランクの保存灯台に指定されている。
 円筒形の灯塔に付属舎が付くデザインは、いかにも日本の灯台の父ブラントンの設計になるものだ。灯高は9.7メートル、灯火標高が39.1メートルということである。

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(写真4 潮流の動きを知らせる部埼潮流信号所の電光掲示板)

 また、灯台の隣には大きな電光板が設置されているが、これは部埼潮流信号所というもの。何しろ、早鞆の瀬戸ともいわれる海峡の最狭部は幅わずかに500メートルあるいは600メートルともいわれ、早い潮流が1日4回も向きを変えるという過密にして難所。信号は、潮流の向きや早さなどを船舶に知らせている。
 ところで、灯台下の道路の海岸沿いに松明を持った大きな像があって、これは江戸末期、海峡を通る船舶に松明を焚いて安全を知らしめた僧清虚なる人物を記念したものだという。それほどにこの海峡は船舶にとって難所だったということでもあるのだろう。

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(写真5 たいまつを掲げた僧清虚の像)

 

<部埼灯台メモ>(灯台表、現地の看板、ウィキペディア等から引用)

航路標識番号[国際標識番号]/5409[M5312]
位置/北緯33度57分6秒 東経131度01分4秒
名称/部埼灯台
所在地/北九州市門司区
塗色・構造/白塔形、石造
レンズ/第三等フレネル式
灯質/連成不動単閃白光 毎秒15秒に1閃光
実効光度/閃光18万カンデラ、不動光7千カンデラ
光達距離/閃光17海里(約32キロ)、不動光10海里(約18キロ)
塔高/9.7メートル
灯高/39メートル
初点灯/1871年(明治5年)1月22日
管轄/海上保安庁第七管区海上保安本部門司海上保安部
備考/日本の灯台50選、A保存灯台