ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

大畑線大畑駅

シリーズ 駅 情景

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(写真1 大畑駅に停車中のキハ85=1995年9月16日)

廃線になった終着駅

 大畑線は、大湊線の下北駅から分岐して大畑駅の間を結んでいた。全長18.0キロ、8駅。下北半島を陸奥湾から太平洋へと横断する路線だった。国鉄から、民間のバス事業者である下北交通へ転換されたが、結局、2001年廃止となった。

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(写真2 大畑線の起点だった現在の大湊線下北駅)

 大畑線の起点だった下北駅。現在は駅舎も新しくなって、駅前も整備され、大型ホテルもあって、下北観光の拠点になっている。かつての大畑線の遺構は見られなかった。
 大畑を出ると二つ目が田名部。路線中の主要駅であり、むつの中心。下北半島でどこへ行くにも拠点となるところ。尻屋崎や大間崎へ行くにも、あるいは海峡を渡るにしても中継点となる。私が初めて大畑線に乗ったのは1989年11月18日だったが、この時も大間崎と尻屋崎を踏破するのが目的だった。

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(写真3 かつての田名部駅の遺構=2017年9月3日)

 現在は、かつての田名部駅跡には大きな駅前広場があり、ホームなど遺構があって往時を偲ばせている。ホームは駅舎側の片側1線と島式2線の2面3線だったようだ。
 かつての大畑線をなぞるように走る下北交通のバスに乗ると、大畑線は、陸奥湾から太平洋側に抜けてほぼ真北に横断している路線なのだが、田名部を出ると次が樺山で、ここには戦時中は軍の飛行場があったようだ。陸奥関根と続き川代で太平洋に出る。この先は海沿いに走り正津川を経て大畑に至る。大畑はイカ漁で知られた漁港である。    二度目に乗ったのは、1995年9月16日だったが、この時は下北を9時10分に出て、大畑には9時40分に着いた。ちょうど30分のところである。列車は1両のキハ85であった。

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(写真4 現在もほぼそのまま残るかつての大畑駅=1995年9月16日)

 現在の大畑駅は、駅舎は鉄道時代と変わらず、下北交通のバスの営業所になっているが、素晴らしいのは大畑駅の構内がほぼ往時の姿で保存されていること。これは、大畑線キハ85動態保存会というNPO法人が、下北交通の協力でかつての大畑駅全体を保存していることによるようだ。

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(写真5 往事そのままに残る大畑駅ホーム=2017年9月3日)

 構内には、片側1線のホームがあり、駅名標もあった。下北交通保守基地などという建屋まであった。線路は本線のほかに留置線や側線を含め3線あり構内ぎりぎり直線で数百メートルはありそうだった。
 ホームに立って線路を見ると、大畑駅の一つ手前正津川駅方面のほか、反対側にも線路が伸びている。これは大間へと向かう未成線の跡だったのだ。戦時中、下北半島は国防上重要な位置にあって、国鉄は大畑線につなげて大間線の建設に着手していたようだ。大間線は大畑駅から大間を経由し奥戸に至る計画で、全線25キロ。しかし、戦況の悪化に伴い工事は中断されたままとなっていた。
 つまり、この大畑駅ホームは、廃線跡と未成線跡を連続してみられるという貴重な位置なのだった。

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(写真6 大畑駅前に立つ〝本州最北の駅〟の標柱)