ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

流山線 つたい歩き

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(写真1 色とりどりの花々が咲き乱れる流山線沿線)

馬橋駅から流山駅へ

 このところまた感染者が増加していて、すっきりした気持ちで旅行にも行かれない。乗り物ほどリスクが高いようだし、近隣ほどひどいからどうしようもない。
 それで考えたのがつたい歩き。電車には乗らずに鉄道線路に沿ってつたい歩きしようというもの。2年前に新京成線沿線をつたい歩きして以来だから随分と久しぶり。あの時は、新京成線が全長26.5キロもあったから1日では歩ききれず、結局3日もかかったがとても楽しいものだった。。
 このたびは、流鉄流山線。流鉄は社名をたびたび変更していてややこしいが、流山鉄道、流山電気鉄道、流山電鉄、総武流山電鉄などと変遷し今日に至っている。創業は1913年(大正2年)で、小さな鉄道会社ながら創業以来どこの鉄道会社系列にも属さない独立系の鉄道会社であり、町民が多く出資していたこともあって町民鉄道と呼ばれていた時代もあった。
  さて、その流山線は、常磐線と接続する馬橋駅(松戸市)から流山駅(流山市)を結んでおり、全長5.7キロのまことに小さなローカル鉄道。千葉県北西部を南北に走っている。前回の経験では1日の歩行距離は10キロ弱くらいだったから、ちょっと物足りないくらいか。
 梅雨の合間を縫って7月13日、馬橋駅を10時ちょうどに出発。JR馬橋駅の改札口を出て左、連絡通路を進むと流鉄の乗り場。この日は電車には乗らないからそのまま西口に出た。
 目の前が川。幅4、5メートル。新坂川というらしい。その川と線路の間が遊歩道になっている。線路は常磐線と平行している。線路際には花が植えられており、ちょうどムクゲが満開になっていたほか種々の花が咲いていてとても美しい。また、この川沿いは桜並木になっていて、花の季節には随分と賑やかだろうと思われた。
 線路は単線で、上り列車、下り列車が交互にやってくる。列車が接近してくると踏切がカンカンと鳴るからすぐにわかる。隣の常磐線は、複々線だから、普通電車、快速電車、特急電車が頻繁に高速で往来している。こちらは高架を走っているから踏切が鳴ることはない。

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(写真2 JR新松戸駅前で踏切にさしかかる流山線電車。左が幸谷駅である)

 そうこうして一つ目の駅幸谷(こうや)。10時55分到着。電車の写真を撮っていたり、花を見ていたり、川面をのぞいていたりしたら時間を食ってしまい、わずか1.7キロに約1時間もかかってしまった。
 この幸谷駅はJR新松戸駅と隣接している。新松戸駅は常磐線と武蔵野線が直角に交差して広場が大きい。その広場の端を流山線が路面で横切っている。幸谷駅は片側1線のホーム。帰途電車で折り返したからわかったが、この駅で乗降する人が、次の終点馬橋駅よりも多かった。
 ちょうど広場に面してカフェがあり、ちょっと早かったがここで昼食休憩した。モーニングサービスの時間に間に合ったせいか、ツナとトマトのホットサンドにゆで卵、ホットコーヒーがついて580円と安かった
 11時30分再開。常磐線は離れていったが、新坂川とはまだ並行している。ところが、幸谷を出て少ししてまた鉄道の高架が出てきた。橋脚に取りつけてあったプレートによると、北小金支線とある。常磐線と武蔵野線を短絡させる貨物支線(たまに旅客の企画列車が運転されることがある)である。新松戸駅は直角に交わっているから短絡線を設けないと移れない。

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(写真3 流山線、新坂川と並行する区間が続いている)

 相変わらず新坂川と並行している。さほど大きな川ではないが一級河川である。トウモロコシ畑などがある。ところどころに小さな踏切があって、一軒の家のためだけの踏切などというものもある。
 やがて小金城趾駅。11時55分着。道路、川、線路を跨いで連絡橋がある。2階が駅事務室と改札口。この鉄道会社はすべての駅に駅員を配置している。1面2線のホームがあり、流山線で唯一列車交換のできる駅のようだ。列車は2両編成、ピンクやえんじ色、黄緑などと車体カラーがいろいろ。城址は公園として整備されているようだが、それらしきものは見当たらなかった。秀吉の関東攻めで落城したらしい。
 そのまま進むと坂川に突き当たった。新坂川との合流地点である。坂川の鉄橋を列車が渡っていった。ここまでは松戸市だったが、この坂川が市境だったのだろうか、坂川を渡ると流山市に入った。新坂川と並行しなくなったら道がわかりにくくなってきた。時々線路を見失う。
 やがて鰭ヶ崎(ひれがさき)駅。ここには東福寺という名刹がある。駅員に道順を尋ねたら手製の地図を示しながら親切に教えてくれた。尋ねる人が少なくないからだろうが、おかげで迷うようなことはなかった。

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(写真4 花がきれいな東福寺の境内。奥が本堂)

 駅から5分ほど。お寺は高台にあって、70段はあろうかという石段を登った。平安時代創建という真言宗豊山派の古刹である。山門には運慶作と伝わる阿像吽像の金剛力士像がにらみをきかしていた。像高が2メートル70センチもあると解説してあった。本堂のほか多くの堂宇があって、直接拝むことはできなかったが、中尊は阿弥陀如来立像という。
 鰭ヶ崎の駅を出ると、道は線路の両側にある。左にとって進むと、住宅地の中に入った。5分ほども歩いたか、通り抜けられるものか心配になった頃、幸いすれ違った人に尋ねたら、この先は行き止まりだという。なんということか。つたい歩きにはこの難しさがある。もと来た道を戻るほどつまらないこともない。跨線橋を渡って反対側に回った。
 そうすると、ほぼ一直線で平和台駅だった。13時45分。ここからは終点の流山駅はすぐ近いはず。駅間距離は600メートルに過ぎない。駅前にイトーヨーカ堂があって、流山街道が走っている。沿道には、キッコーマンの大きな工場があった。みりんの工場で、白みりん発祥の地らしく、流山はみりんの街なのである。

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写真5 流山市街旧道沿いの古い街並み)

 流山街道をそれると並行して旧道があり、流山本町江戸回廊というらしく、古い街並みがあってなかなか風情のあるものだった。新撰組流山本陣跡などというものもあった。
 途中、蔵を改装したカフェあったので、最後の休憩を取った。この頃は古民家カフェが人気だが、この店も母娘でやっているようで、失礼ながら望外と言えるほどにうまいコーヒーだった。
 終点の流山駅はほんの数分のところ。流山街道からほんの少し入ったところだった。この時14時15分。
 歩き始めて4時間15分。途中で休憩したり寄り道をしたりもしたが、線路の全長なら5.7キロのところ、疲れることもなく楽しい歩き旅だった。コロナ騒ぎでも、工夫すればいろいろな旅ができる。

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(写真6 流山線の終点流山駅)