ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

利尻島の岬と灯台

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(写真1 船上から見たペシ岬。独特の景観がすばらしい。奥に見えているのが礼文島)

最北の離島を訪ねて②

 礼文島からは翌日利尻島に渡った。二つの島は姉妹みたいなもので、礼文水道を挟んで8キロしか離れていない。利尻島は礼文島の南に位置する。礼文島からは間近に見えていた。

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(写真2 礼文島から見た利尻島)

 利尻島(りしりとう)は、平べったい礼文島とは対照的で、島の中央に利尻山(通称利尻富士、標高1,721メートル)がそびえる火山島である。面積は182平方キロあり、礼文島の倍以上、人口も5400人と倍近い。

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(写真3 礼文島と利尻島を結ぶハートランドフェリーの「ボレアース宗谷」。稚内から来た船だ)

 香深港13時30分発のフェリーに乗った。この船もハートランドフェリーが運航しており、稚内港から香深港を経て利尻島の鴛泊(おしどまり)港に向かう。稚内から礼文に向かう船は波も高く揺れっぱなしだったが、この日は快晴で波も静か、3500トンもの船だから穏やかだった。
 香深港から約40分、14時10分鴛泊港に着いた。香深港に向かったときもそうだったが、船は島が近づいてからが長い。それでも、フェリーはダイヤが正確で、この日もぴったり定刻通りの到着だった。

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(写真4 鴛泊港の様子)

 鴛泊港は利尻島の北側、礼文島に近いところにあるのだが、鴛泊港が近づいたら独特の姿のペシ岬が迎えてくれた。鴛泊港の湾口に位置し、この時のノートには、「何と表現したら当を得ているのか。クジラが頭だけ海面に出したようにも見える。この岬もかねて踏破をしたいと念願していたもので、やっと思いが叶ったようだ」とある。
 この日の宿は港に近い高台にあり、岬の付け根のようなところ。部屋に荷物を置いて何はともあれペシ岬に登った。しかし、これがなかなか急な登りで、ペシとはアイヌの言葉で崖を意味するというが、そのままにきつい登りだった。

 20分ほど登ると岬の頂上。展望台になっていて、礼文島から北海道本島までぐるり見渡せる。案内板によると、礼文島香深港までが19キロ、稚内港までは52キロとあった。

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(写真5 ペシ岬の劈頭に立つ真っ白な鴛泊灯台。水平線に北海道が横たわっている)

 岬には劈頭に真っ白い灯台があった。鴛泊灯台である。礼文島の灯台は赤か黒の横帯が塗色されていたから真っ白い灯台は利尻島に来てはじめて見た。100メートルほどの断崖に立っており、遮るもののない景観だ。遠く水平線ぎりぎりに北海道が横たわっており、北海道を望んで旅情が高まる。

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(写真6 会津藩士の墓)

 岬には会津藩士の墓というのがあった。利尻富士町が建てた立て札によると、蝦夷地防衛の命を受けた会津藩士は、1808年、部隊を編成して利尻島に本陣を置いたのだが、しかし、多くの守備兵は寒さのため水腫病におかされ死んでいったのだという。鴛泊には3基あり、ほかに島内あちこちに墓があるという。なお、墓石は新潟より運んで建立したものだということである。

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(写真7 ペシ岬のカフェの窓辺。旅愁が深まる)

 また、岬にはカフェがあった。ギャラリーも兼ねたしゃれたもので、この日は「さいはての島」という写真展をやっていた。ご主人がカメラマンのようだった。カフェの窓辺にたたずんでいると、旅愁が深まっていくようだった。
 夕方、旅館の若女将のすすめで、温泉に入りに行った。教えられた道を10分ほどのんびりと歩いた。利尻富士温泉といい、茶色がかった湯で、表示には42度とあったが、熱い湯が好きな私にはややぬるかった。帰途虹が見えた。

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(写真8 夕陽が沈む灯台。灯台表によれば、鴛泊港島防波堤東灯台のようだ)

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(写真9 夕陽に染まる利尻富士)
 温泉から戻ると、若女将が夕景を撮りに出かけないかと誘ってくれた。大きなカメラを持っていたから写真好きと判断したのだろう。自身、写真好きなそうで、撮影ポイントなどよく知っていた。
 夕食には新鮮な魚が並んだ。タコのしゃぶしゃぶというものもあって面白かった。酒は「りしり」という名の焼酎を飲んだ。
 翌日はレンタカーで島を一周した。島はほぼ円形で、一周約60キロ。時速60キロならちょうど1時間で回れるとこれは若女将の話。島の中央にそそり立つ利尻富士の裾野が島全体に渡っている。海抜ゼロメートルから頂上に登れるというのが謳い文句となっている。

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(写真10 工事中だった石埼灯台)

 起点とする鴛泊は島の北にあって、時計回りに島を巡った。20分も走ると4時の方角に石埼灯台があった。ところが工事中のようで、すっぽり緑のシートで覆われている。結構背が高いようで、灯台表によれば、塔高は32メートルもあり、魹ヶ埼灯台よりは低いが尻屋埼灯台とほぼ同じ。日本で五指に入るのではないか。白地に赤横帯3本の塔形だということである。利尻水道を照らしている。

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(写真11 オタトマリ沼から望んだ利尻富士)

 どこまで行っても利尻富士が見えている。少しずつ山容を変えているようだが、いつも頂上付近は雲に覆われていて、富士山らしい姿はなかなか拝めない。まだ10月だというのに頂上付近は冠雪していた。

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(写真12 仙法志埼灯台)

 ちょうど南、6時の方角まで進むと仙法志の海岸。溶岩でゴツゴツしており、利尻島が火山島であることを物語っている。仙法志埼灯台があった。こちらも白地に赤横帯3本の円塔形だ。灯室の部分まで赤というのは珍しくはないか。

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(写真13沓形岬付近から見た利尻富士。珍しく頂上に雲がかかっていない)

 さらに進んで、島の西側、9時の方角が沓形岬。珍しく利尻富士の頂上付近の雲が一瞬途切れて美しい姿を現した。

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(写真14 沓形岬灯台。奥に見えるのは礼文島の島影)

 沓形岬には沓形岬灯台。こちらは白地に赤横帯1本の四角い塔形。

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(写真15 登山道の途中にあった甘露泉水)

 利尻山には島内あちこちから登山道があるようだが、沓形からは5合目までよく整備された舗装道路があった。その途中に甘露泉水という名水があった。なるほどおいしい水だった。
 稚内に前泊したから3泊4日になった礼文・利尻の旅。大変印象深く美しい旅だった。利尻島からは空路利尻空港から新千歳を経由し羽田に帰った。

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(写真17 利尻富士を背景に新千歳空港行きの航空機)

 

<利尻島の灯台メモ>(灯台表、ウィキペディア、lighthouse-japan等から引用)
●鴛泊灯台
航路標識番号(国際番号)/0523(M6915)
名称/鴛泊灯台(おしどまり)
位置/北緯45度14分8秒 東経141度13分9秒
灯質/単閃白光 毎15秒に1閃光
塗色・構造/白塔形
灯高/76メートル
光達距離/21海里
塔高/9.4メートル
明弧/105度~20度(利尻水道では本灯と野塚岬を結んだ線以南は陸地により灯光が遮られる)
初点灯/1892年11月

●石埼灯台
航路標識番号(国際番号)/0537(M6928)
名称/石埼灯台(いしさき)
位置/北緯45度09分0秒 東経141度19分7秒
灯質/単閃白赤互光 毎20秒に白1閃光、赤1閃光
塗色・構造/白地に赤横帯3本 塔形
灯高/35メートル
光達距離/16海里
塔高/32メートル
初点灯/1943年10月3日

●仙法志灯台
航路標識番号/0535
名称/仙法志埼灯台(せんぽうしさき)
位置/北緯45度05分9秒 東経141度14分2秒
灯質/単閃白光 毎5秒に1閃光
塗色・構造/白地に赤横帯3本、塔形
灯高/29メートル
光達距離/12海里
塔高/13メートル
初点灯/1971年10月

●沓形岬灯台
航路標識番号/0532
名称/沓形岬灯台(くつがたみさき)
位置/北緯45度11分2秒 東経141度07分8秒
灯質/単閃白光 毎3秒に1閃光
塗色・構造/白地に赤横帯1本、塔形
灯高/24メートル
光達距離/7海里
塔高/12メートル
初点灯/1952年5月