ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

夕張支線夕張駅

シリーズ 駅 情景

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(写真1 石勝線夕張支線夕張駅=2013年7月16日)

廃線になった終着駅

 夕張支線は、石勝線(南千歳-新得、132.4キロ)の支線。石勝線の新夕張から別れて夕張間6駅16.1キロを結んでいたが、2019年4月1日をもって廃線となった。石炭産業の斜陽にともなって早くから廃線の俎上に上がっていた。
 北海道では、幌内線、万字線、歌志内線、上砂川支線などと、往事、石炭の積み出しのために数多くの路線が敷かれ、旅客輸送も行われていた。しかし、いずれも超のつくほどの赤字路線だったし、国鉄の分割民営化と炭鉱の閉山にともなって次々と廃止に追い込まれてきた。
 夕張支線は、そもそも北海道炭礦鉄道によって建設されたもので、その後国鉄に買収されて夕張線と称し夕張と追分間を結ぶ路線となっていたが、延伸された石勝線に編入されていた。
 石炭輸送によって築かれた路線には宿命的に盲腸線が多いが、そういう中で夕張支線は石炭輸送のみならず地域輸送としても重要な役割を果たしてきたこともあり、最後まで残った運炭路線ではなかったか。開業から126年の歴史を数えていたのだ。

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(写真2 夕張川。奥は石勝線の鉄橋)

 夕張支線の起点は新夕張。1892年の開業時には紅葉山駅と称していたらしい。石勝線が延伸された1981年に改称された。それで、起点駅なのに新がつく。出発するとすぐに左にカーブし、夕張川を渡って北上していく。右手に並行するように石勝線の鉄橋が見えた。

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(写真3 夕張駅ホーム)

 そうこうして終点夕張。全線わずか26分ほど。片側1線の行き止まりの終着駅である。ホームの端に駅舎がある。とんがり屋根の時計塔がありしゃれている。駅には観光案内センターとカフェがあった。駅前にはマウント・レイシイという名のホテルがあった。あまりに大きく立派で、どのように使われているものか、不思議なほどだった。

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(写真4 夕張市街の中心=1997年9月30日)

 駅から市街中心に向けぶらぶら歩いてみた。10分ほどか、市役所や商工会議所などのある交差点にしばらくたたずんでいたが、通った車は10台に満たなくて、まるで街自体が眠っているようだった。
 駅舎は2キロほど移動しており、初代の駅舎はこの奥にあるはずだが、見つけられなかった。

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(写真5 夕張市立夕張第一中学校碑=1997年9月30日)

 また、市中には夕張市立夕張第一中学校碑という石碑があって、それによると、昭和22年5月開校、昭和58年3月閉校とあった。随分と早くに閉校となっていたのだ。校碑には、かすれてちょっと読みにくいが、「黎明日本の国力に培う任務果たすべき」とあって石炭産業に携わる誇りと使命感が伝わってきて感慨が重くのしかかってくる。

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(写真6 起点の新夕張駅)