ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

復興のシンボル石巻線女川駅

シリーズ 駅 情景

 

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(写真1 震災から生まれ変わった女川駅=2016年7月4日)

行き止まりの終着駅

 女川駅は、東北本線の小牛田駅を起点とする石巻線の終点であり、行き止まりの終着駅である。路線距離は44.7キロ。途中に石巻駅があるが、仙台-石巻間を結ぶ仙石線・仙石東北ラインの中にまれに女川まで直接乗り入れている列車がある。

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(写真2 震災前の女川駅=1991年7月7日)

 女川は、有数の漁港であり、駅前に港町が開けているが、東日本大震災の津波により壊滅的被害を被り、女川駅も駅舎が流出するなどの甚大な被害を受けた。

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(写真3 女川駅前の商店=1991年7月7日)

 震災前の女川駅に降り立つと、駅からまっすぐに港まで道が伸びていて、途中には魚を商う店が並び、大変活気のあるものだった。呼び声に釣られてシャコ、カレイ、ホヤを買ったが、シャコはバケツいっぱい入っていて、値段は全部で5,100円だった。この時のノートに「高いか安いかわからない」とあるが、およそ30年前のこと、なるほど、安くはないのかも知れない。ただし、新鮮ではあるが。帰宅してシャコを茹でてむしゃむしゃと食べた記憶がある。
 震災で不通となっていた石巻線は、震災から2年後2013年の時点では女川の一つ手前の浦宿から女川まで代行バスが出ていた。バスで丘を登り切り女川の町を眼下に一望できたところで思わず息をのんだ。町が壊滅していたのである。バスは町に入ってきた方とは反対側の小高い丘の上を終点にしていて、今はどこに駅があったのかさえ判然としなくて、運転手にかつての駅のあり場所を尋ねてやっと見当がつくようだった。

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(写真4 壊滅していた女川駅前=2013年6月7日

  町にはまったく建物はなくて、ただ砂地の原が広がっているだけ。土地のかさ上げ工事をしている重機だけが動いていた。魚市場だけは再開しているようだったが、それも往年の女川漁港を考えると数分の一にも満たないものであろうと思われた。
 石巻線が全線で復旧したのは2015年の3月21日。この時、浦宿を出た列車が女川に近づいたが、かつてのような急な下り坂がもうなかった。嵩上げされてならされたのである。女川駅は片側1線のホームに、真新しい駅舎が迎えてくれた。ウミネコが翼を広げたイメージだという大きな屋根の立派な駅舎だった。坂茂の設計。3階建てで、温泉まで入居していた。

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(写真5 開発中の女川駅前。駅から海岸がこんなに近いとは知らなかった=2015年7月1日)

  駅前は開発中のようで、観光案内所によると、駅舎は旧駅舎より200メートル山側に移動したとのこと。つまり、石巻線は0.2キロ営業距離が短くなったことになる。なお、駅付近は7メートルばかり嵩上げされたということだった。

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(写真6 女川駅に停車中の石巻線列車=2016年7月4日)

 次に女川駅に降り立った2016年の時には、駅前の商店街がきれいに整備されていた。海に向かって伸びており、まるで小洒落た商店街となっていた。
  駅舎は、女川町が復興のシンボルとして、総工費8億5000万円をかけて建設した。1階が改札口で、2階に町営の入浴施設女川温泉ゆぽっぽがあり、3階は展望フロアとなっている。駅舎に温泉があるというのも珍しくはないか。温泉地ならばともかく。

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(写真7 こじゃれた商店街に生まれ変わった女川駅前=2016年7月4日)