ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

本州最涯地下北半島尻屋崎

f:id:shashosha70:20200503135925j:plain

特集 私の好きな岬と灯台10選

f:id:shashosha70:20200503140016j:plain

(写真1 寒立馬がのんびりと草を食む尻屋埼灯台=2015年7月4日)

底知れぬ寂しさを感じる岬

 尻屋崎は、いつ行っても底知れぬ寂しさを感じさせられる岬だ。岬には、「本州最涯地」と書かれた大きな石碑が立っているが、最果てとしなかったところが、詩的であり、寂しさを募らせる。石碑は地元の村が建てたものであろうが、自ら最涯地としたところにこの岬の厳しさがうかがい知れる。

f:id:shashosha70:20200503141350j:plain

(写真2 灯台と右は「本州最涯地尻屋崎」の石碑=2015年7月4日

 深田久弥は、「北上山脈が伸びて下北半島を走り、それが一番北へ来て海へ落ちる所が尻屋崎である。山脈の端が尽きて、その突端は湿原の草地になっている。草地には牛や馬が放牧されていた。」と『尻屋崎』というエッセイに書いている。
 地図を見ると、誰しも尻屋崎に行ってみたいと思うのではないか。なるほど端っこなのである。しかも鋭い。このことは岬が人々に好まれる確かな要因である。
 よく例えられるように、下北半島は、全体がまさかりのような形をしており、刃の部分が陸奥湾に面し、柄の頂点に当たるところが尻屋崎である。地図で見ると鋭く太平洋に突き出ていることがわかる。

 

f:id:shashosha70:20200503140126j:plain

(写真3 むつ市の中心田名部にあるむつバスターミナル=2015年7月4日)

 尻屋崎へは、むつ市の中心田名部のむつバスターミナルから下北交通の路線バスが出ている。この時(2015年7月4日)、乗客は自分を含めて二人。今一人は50代の奥様然とした女性である。最後までこの二人だけで、途中の乗降もなくまるで直行便。岬が近づいて日鐵鉱業所や三菱マテリアルといった停留所が続く。この周辺は、砂鉄や石灰岩の産出で知られる。今でもそうかはわからないが。尻屋の集落では灯台そっくりのドームを持った小学校が現れた。

f:id:shashosha70:20200503140227j:plain

(写真4 尻屋埼灯台のバス停留所=2015年7月4日)

  バスターミナルから約60分、バスは岬の突端、灯台近くまで行ってくれた。これは大変便利で、岬への入口ゲートで降ろされると40分ほど歩かされることとなる。夏の観光シーズンだからであろう。もっとも昔はゲートなどなかった。ただ、数年前に訪れた2度目の折にはやはり冬期のためゲートが閉まっていて雪道を歩かされたものだった。

f:id:shashosha70:20200503140334j:plain

(写真5 美しい白堊の尻屋埼灯台=2010年3月19日)

 岬の突端には白堊の尻屋埼灯台がすっくと立っている。形といい高さといい実に美しい灯台だ。随分と全国の岬を訪ね灯台を見て歩いているが、これほど姿形のいい灯台は少ない。日本の灯台の父ブラントンの設計で、東北では最初の洋式灯台だったし、光量も大きくて56万カンデラは日本最大級だ。もっとも、かつては光量200万カンデラだったというからすごい。内部はレンガ造になっていて、2年前から灯台に登れる参観灯台の仲間入りを果たした。

f:id:shashosha70:20200503140427j:plain

(写真6 津軽海峡側から見た尻屋埼灯台=2010年3月19日)

  その灯台が照らす海は、太平洋と津軽海峡がここで交わるところだ。だから、海は荒く、海上交通の難所として知られる。古くは難破する船が多く、難破船が出ると浜辺で村の女が乗組員を引き上げるのだが、救助された彼らはそのまま村に居着くので、このあたりの村は一妻多夫制だったという言い伝えが残っている。江戸時代、北前船が日本海に航路を取ったのは、廻船問屋がこの尻屋崎を通ることを嫌ったからだという説もあるというほどだ。
  灯台周辺は草原の台上になっている。海面からの高さはわずか数メートルしかない。断崖絶壁であるわけでもないのにこの寂寥感は何か。独特の情緒が感じられる。それこそが尻屋崎なのである。
 ここには寒立馬(かんだちめ)と呼ばれる土着の馬が放牧されており、この日も数頭のんびりと草を食んでいた。足が太くお腹の大きい馬が多かった。また、ここより少し離れた場所では子馬も見られた。ちょうど出産の季節なのであろう。

f:id:shashosha70:20200503140516j:plain

(写真7 津軽海峡の向こうに北海道の恵山岬がかすかに遠望できた=1989年11月18日)

 初めて訪れたこの日(1989年11月18日)は曇り空ながらはなはだ見通しが良かった。左には下北半島の最北端大間崎が見えたし、遠く正面には北海道の恵山岬までも眺望できた。
 そう言えば、あの頃、バス便は非常に悪くてむつと結ぶバスは日に数本しかなかった。帰りのバスまで数時間以上もあるようなことで呆然としていたところ、ちょうど1台のダンプカーが岬にやってきた。そこで、都合のいいところまででいいからと言って便乗させてもらったことがあった。なかなか気のいい運転手で、寒立馬を見せてあげると言って放牧場所まで遠回りをしてくれた。それで雪原に立つ、まさしく寒立馬を見ることができたのだった。
 ところで、尻屋崎を含めこの辺り一帯は東通村になるのだが、かつて、この東通村の村役場は村内ではなくむつ市内に置かれていた。つまり、村のどの位置に置いても不便で、いっそ近隣の中心都市であるむつを選んだものであろう。その後村内を通ったら道筋に東通村役場の所在を示す矢印が出ていたから、村内に村役場ができたのであろう。

f:id:shashosha70:20200503140630j:plain

(写真8 太平洋側からの尻屋崎遠望=2010年3月19日)


<尻屋埼灯台メモ>(灯台表等から引用)
 航路標識番号(国際標識番号)/1601(M6630)
 名称/尻屋埼灯台
 位置/北緯41度25分49秒 東経141度27分44秒
 所在地/青森県下北郡東通村尻屋
 塗色・構造/白色塔形(レンガ造)
 レンズ/第二等フレネル式
 灯質/単閃白光 毎10秒に1閃光
 光度/53万カンデラ
 光達距離/18.5海里(約34キロ)
 明弧/52度から3度まで
 灯高/32.82メートル
 灯火標高/45.70メートル
 初点/1876年10月20日
 管理事務所/第二管区海上保安本部