ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

全線で運転再開の常磐線

特集 常磐線復旧への軌跡①

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(写真1 全線運転再開への期待をにじませる幕=双葉駅で)

帰還困難区域を鉄道が走る

 東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の影響から最後まで不通となっていた富岡-浪江間が復旧、常磐線は3月14日全線で運転を再開した。
 復旧したのは、富岡と浪江の間20.8キロで、この間に夜ノ森、大野、双葉の3駅がある。福島第一原発に最も近いところにあたり、現在に至るも帰還困難区域となっており最後まで復旧が遅れた。
 被災から9年目にしてやっと常磐線がつながったわけで、これによって復興への大きな弾みとなることが期待されるが、早とちりしてはいけないことは、鉄道が復旧したからと言って帰還困難地域がすべて解除されたわけではないと言うこと。解除されたのはあくまでも鉄道線路とその両側だけで、本格的な復興にはまだまだ時間がかかる。
 復旧はどのように進んでいるのか、運転を再開したばかりの復旧区間に乗りに3月16日出かけた。
 上野8時00分発ひたち3号仙台行き。運転再開に伴って組まれた上野と仙台を1本で結ぶ特急列車で、日に3本が設定されている。10両編成。使用車両はE657系常磐線特急列車用電車。
 ところが、順調に走行していた列車が、あろうことか、水戸を過ぎ日立に至って運転を停止してしまった。いわきの先大津港駅で信号故障が発生したものらしい。システムの故障だったらしく、修理に手間取り、結局、50分遅れで運転を再開した。その後も、遅れを挽回するどころか、さらに遅れを増し富岡に着いたらすでに1時間の遅れとなっていた。

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(写真2 特急ひたち3号が到着した富岡駅ホーム)

 富岡からが運転再開区間。富岡駅ではホームに出てしきりに写真を撮っている姿が多く見られた。

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(写真3 夜ノ森駅の線路周辺では避難指示が解除され工事が始まったようだ。名物の桜はまだ咲いていなかった)

 次の夜ノ森(よのもり)駅では土木工事が行われていた。やっと着手できたというところであろうか。桜で知られるところだが、まだ咲いていなかった。

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(写真4 大野駅そばの住宅はうち捨てられたままの様子だった)

 続いて大野駅では線路のそばにある大熊町の町営住宅であろうか、うち捨てられた空き家の様子だった。

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(写真5 真新しい大野駅。駅前はがらんとしていた)

 大野駅のホームは真新しいのだが、駅前はがらんとしていた。

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(写真6 左窓に見えたアパート3棟。窓ガラスが割れまるで廃墟のよう)

 大野を出ると、左窓に公営のものであろうか2階建てのアパートが3棟見えた。離れてはいたが、注意してみると、窓ガラスが割れまるで廃墟のように思われた。

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(写真7 双葉駅の駅前は再開発の様子。看板には「町民一人一人の復興と街の復興をめざして」とあった)

 次が双葉駅。福島第一原発は大野駅と双葉駅の中間に位置する。双葉駅からは双葉町が建てた「町民一人一人の復興と街の復興をめざして」とする大きな看板が見られ、再開発に着手されている様子がうかがえた。

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(写真8 浪江駅前のアパートは無残な姿。9年の風化が激しい)

 浪江駅でも、アパートなど車窓から見える沿線の建物はことごとくうち捨てられているようだった。
 浪江を出ると一気に加速し原ノ町到着。ちょうど1時間遅れだった。このため、予定していた折り返し列車に間に合わず、2時間10分もの空白が出てしまい、帰途は復旧区間で途中下車し復興状況をつぶさに観察したいものだと計画していたが、急ぐ旅ではないものの、夕方になって急速に寒さが出てきていたし断念して普通列車で一駅ずつかみしめるように帰った。結局、この日は5本の列車を乗り継いだのだが、故障あり、事故あり、強風ありなどとすべての列車が遅延した。まあ、数多く汽車旅を行っていれば、こういう日もある。

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(写真9 常磐線特急用車両E657系)