ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

時刻表完全復刻版

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(写真1 時刻表完全復刻版。左が1964年10月号で右が9月号=カバーは復刻版のためのもの)

1964年9月号/10月号

 東海道新幹線開業当時の時刻表が刊行された。いわゆる「交通公社の時刻表」が復刻されたもので、開業時の東海道新幹線の時刻表が載った1964年10月号と、その開業前夜に当たる1964年9月号の2冊。いずれもポケット版。当時のものがそのまま復刻された。なお、カバーは復刻版のためのもの。
 ページをくくるとあまりにも懐かしく興味深くて時のたつのも忘れてしまうほどだ。私は鉄道ファンだし、古い時刻表は国鉄時代のものやJR発足時のものなど節目のものを何冊か保存してあるが、この当時のものは手元になくてとてもありがたい。
 10月号には、10月1日開業の東海道新幹線の時刻表が載っている。ほぼ毎時00分にひかり号が出ているし、毎時30分にはこだま号が発車している。わかりやすいダイヤで、ひかり号には超、こだま号には特の記号が付され、ひかり号の停車駅は名古屋、京都、終点新大阪のみ。所要時間は4時間ちょうど。最高時速は200キロとなっており、在来線となる普通の特急列車は6時間30分を要していたから画期的で、〝超特急〟の名にふさわしい。また、こだま号は各駅に停車して、所要時間はちょうど5時間である。巻頭のグラビアページには「翼のないジェット機」とあって、東京-大阪間を日帰りできると謳っている。この10日後の10月10日には東京オリンピックの開幕を控えていたから国民の期待が肯ける。
 9月号10月号を見て感じることは、当時の路線数の多さ。現在と比べると一目瞭然で、鉄道が生活に産業に重要な位置を占めていたことがわかるし、当時の鉄道旅行は楽しかっただろうなと思われる。
 特に北海道が歴然としていて、現在の時刻表地図と比べてみると、当時は北の大地の隅々にまで鉄道網が発達していた。経営上の理由があったこととはいえ、どうしてここまでズタズタに削らなければならなかったのかと残念でならない。
 現在は廃線になってしまったが、名寄と深川を結び、朱鞠内湖のほとりを走る深名線など、日中の最高気温が零下20度を超す幻想的路線で、ダイヤモンドダストを初めて見たのもこの路線だった。また、私がJR全線踏破を達成した最後の線区留萌本線留萌-増毛間も今はなく寂しさが募る。
 青函連絡船も運航されていた。1日6便が青森と函館を結んでいたとある。所要4時間半。1度しか乗ったことがないが、デッキで飽かず海を眺めていた記憶がある。北海道は遠かったが旅はいつでもときめいて楽しかった。
 また、特急や急行、準急が全国津々浦々で多数運転されていたことも大きな特徴だった。特急には展望室がついているものもあって時刻表に展の記号が載っている。一方で、新幹線開業に伴って、東京-大阪間の昼間の特急は全廃となっている。新幹線の開業が在来線にしわ寄せする傾向はこのときから始まっていたのだ。