ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

及川昭伍さんを偲ぶ

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(写真1 ありし日の及川昭伍さん=山田武秋氏提供)

偉大な白堊人

 及川昭伍さんが2月14日亡くなられた。89歳だった。
 年末にお葉書を頂戴し盛岡に住居を移し療養生活を送ることとしましたとあって、新年になってからは寒中見舞いをいただいていて、治療のため入院したとあって、すぐにでもお見舞いに参上しようと思っていたところ、結局、直接お目にかかってお礼もお見舞いも申し上げられず、痛恨の極みとなった。
 及川さんは、東北大学から大蔵省に入り、経済企画庁で国民生活局長や総合計画局長などを歴任され、退官後は国民生活センター理事長にあった。この間、消費者問題に関する施策に取り組むなど消費者問題に造詣が深く、〝ミスター消費者問題〟と讃えられた。
 及川さんは、私にとって高校時代の大先輩だが、とても面倒見のいい人で、数々の薫陶をいただいた。気骨があり、深い見識と幅広い交友があり、その謦咳に接することができたことは私にとって大きな財産となった。
 わが母校は、明治13年の創立から現在に至るまで140年間校舎が四代続けて白かったところからいつしか「白堊校」と自称し、同窓会も白堊会と称している。
 そういうことで在京の同窓会組織も在京白堊会と名乗っていて、及川さんはその初代会長だった。
 郷土愛、母校愛の強い人で、多くの後輩を育成指導された。毎年開催されている在京白堊会の総会懇親会には、ふるさとを遠く離れた同窓会ながら毎年の参加者は90歳の大先輩から学生の若者まで300名を超し、強い絆を結ぶよすがとなっている。
  及川さんはお酒が好きで、よくたしなまわれた。酒好きが高じて、一時期は、自ら田植えをして酒米を育て、稲刈りを行い、酒蔵に頼んで自分独自の酒を造っていた。
 また、陶芸を趣味とされ、日本陶芸倶楽部正会員となるなどほとんど玄人はだしと評価されていた。これなども、あるいは酒器を作るのが目的だったのではないか。実際、そうやって楽しんでおられた。
 実は、及川さんには随分前になるが、作品を一つお願いしていて、その折には何がいいかと尋ねられるから遠慮なくマグカップと答えていた。
 そうしたら、昨年の12月の白堊芸術祭に出品されたマグカップは驚いたことに私のために制作したものだということだった。
 これは、染付で鳥獣戯画が絵付けされている。端正で上品な作品である。
 ほんの軽い気持ちでお願いしたことを覚えておいてくださって、しかも、今になって気がついてみれば、これは及川さん最後の作品ではないのか、体調のすぐれないところを振り絞って作陶したのではないのか、そのようにも思えてくる。
 できの悪い後輩にもきちんと約束を果たされて、今はただただご冥福をお祈り申し上げるばかりである。

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(写真2 及川昭伍作「マグカップ」)